作曲家の小林亜星さん死去 JR東日本「E電」の選考委員



演歌『北の宿から』やアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』のオープニング・エンディング曲『ガッチャマンの歌』、日立グループのCM曲『日立の樹(この木なんの木)』などを手がけた作曲家の小林亜星さんが、5月30日に亡くなっていたことが分かった。88歳。

「E電」の名称が決まった頃の1985~1988年頃に山手線への導入が進んでいた205系電車(写真は2003年)。【画像:DAJF/wikimedia.org/CC BY-SA 4.0】

鉄道関係では、JR東日本の首都圏を走る電車の名称「E電」や、東武鉄道の特急「スペーシア」の名称選考委員を務めている。1987年4月1日の国鉄分割民営化で発足したJR東日本は、従来の「国電」に代わる名称を公募。2週間で6万弱の応募があった。最も多かった名称は「民電」の5031票だったが、小林さんを含む選考会で20位(390票)の「E電」が選ばれた。

1987年5月13日の「E電」の発表では、小林さんが「East(東)、Everyday(毎日)、Easy(ゆったりした)、Economy(経済)、Energy(エネルギー)、Enjoy(楽しむ)、Extern(通勤、通学生)などのE。『いい電車』の意味も込めている」と説明。「語呂がよく、イーデン、イーデンと呼んでるうちに歌でもできそう」と話していた。

京成電鉄の東成田駅に残る東武特急「スペーシア」の広告。【撮影:草町義和】

しかし「E電」は不評で定着せず、1990年代の初頭までにほぼ使われなくなった。小林さんは1994年の読売新聞の取材に対し「私たちは選考過程を監視する立場だったが、妥当なものが少なく、これしかなかったというのが実情。それをマスコミ挙げての不協和音に恐れをなしたJRが、自信をもって使わなかったのだから、定着しないのも当然」(1994年8月30日付け読売新聞東京夕刊)と話している。

《関連記事》
京葉線「幕張新駅」開業時の駅名を一般募集 再び「応募数では決めない」方式
山手線でE231系500番台の運行終了 新型E235系に統一
「羽田空港アクセス線」トンネル下部に避難空間 JR東日本、環境手続きで変更届出
JR東日本「みどりの窓口」440駅→140駅程度まで削減 チケットレス化・モバイル化を推進
最後の「6ドア車」中央・総武線で運行終了へ 「座席なし」ラッシュ対策で活躍