最後の「6ドア車」中央・総武線で運行終了へ 「座席なし」ラッシュ対策で活躍



山手線で20年近く運行されてきた通勤電車のE231系500番台がまもなく姿を消し、同線の車両が新型のE235系電車に統一される。これに伴い、中央・総武線の各駅停車でも姿を消す車両がある。ラッシュ対策の「切り札」として登場した「6ドア車」だ。

まもなく最後の日を迎える中央・総武線の6ドア車。【撮影:草町義和】

中央・総武線の通勤電車は10両編成のE231系で、大きく分けて車両番号が0番台・500番台・900番台の3種類ある。大半の車両は片側4カ所にドアを設けた4ドア車だが、900番台と0番台の一部の編成は中間の1両(5号車)のみ、ドアを二つ増やした6ドア車を連結している。

ドアが多いため座席は3人掛け(4ドア車の標準は7人掛け)。しかも収納式の座席になっていて、最近までラッシュ時には座席のない状態で運転していた。

座席収納式の6ドア車は1990年、山手線に初めて登場。翌1991年には列車の11両編成化にあわせ、山手線のすべての編成に6ドア車が組み込まれた。従来の4ドア車より出入口が増えたことから乗り降りにかかる時間が短縮し、列車の遅延を抑えるのに役立った。

また、ラッシュ時には座席を収納することで広いスペースが生み出され、ラッシュ時の混雑率が最大で270%台(1990年度)だった山手線の混雑緩和に効果を発揮した。

■デビュー時は賛否両論

一方でラッシュ時限定とはいえ、座席のない車両は賛否両論。当時の新聞各社の取材記事によれば、「広々してる。混雑緩和ができるなら、結構なことですよ」(1990年3月12日毎日新聞東京夕刊)と歓迎する声があった一方、「ちょっと荷物みたい。お年寄りの方々はますます乗りにくいでしょうね。停車時間が短くなるとは思えませんよ」(1990年3月12日朝日新聞東京夕刊)との声もあった。

6ドア車の車内。スタンションポールも設置されている。【撮影:草町義和】

6ドア車が登場した頃は、戦争による客車不足から貨車に乗った記憶を残していた人も多かった。満州(中国東北部)からの引き上げ時に貨車に乗った経験を持つ男性が新聞の投書欄に投稿し、座席のない車両を貨車にたとえて「大量輸送と効率化の名のもとに、客を貨車に詰め込み、それをまた当然と受け取る客もいるという、不思議な時代に遭遇したものである」(1990年3月20日読売新聞東京朝刊)と記している。

しかし、JR東日本が6ドア車の導入直後(1990年3月下旬)に実施した利用者アンケートでは約4000人からの有効回答があり、このうち肯定的な意見は80%以上を占めたという。

座席は3人掛け。ラッシュ時には収納して「座席なし車」になった。【撮影:草町義和】

こうした利用者の声も受け、JR東日本は6ドア車の導入路線を拡大。1995年までに横浜線と京浜東北・根岸線に6ドア車を導入した。中央・総武線にも1999年に導入されている。2001年には埼京線に導入。そして2005年には関東大手私鉄の東京急行電鉄(東急電鉄)が田園都市線に6ドア車を導入した。

■時代の変化で縮小

しかし、新線の建設や複々線の整備などで利用者が分散したほか、少子高齢化などで利用者自体も減少傾向となり、座席なしの6ドア車を導入しなくても混雑の緩和が図られるようになった。また、ホームドアを整備すると、ドアの数や位置が異なる複数の車両に対応するのが難しいという問題も出てきた。

座席の収納は2019年3月で終了。いまはラッシュ時でも座れる。【撮影:草町義和】

山手線ではホームドア整備の準備として、2011年9月までに6ドア車の連結を終了。ほかの路線でも6ドア車の連結が順次中止され、2017年4月には6ドア車のある路線が中央・総武線だけになった。2019年3月にはラッシュ時の座席収納が終了している。

JR東日本は山手線の通勤電車をE235系に更新する計画を進めており、今年2020年1月中には完了する見込み。従来から同線で使用してきた通勤電車のE231系500番台は10両編成に短縮し、帯の色を黄色に変える改造を経て、中央・総武線に順次転属している。

これにより6ドア車を組み込んでいたE231系0番台の大半は「玉突き」で川越・八高線や武蔵野線に順次転属し、6ドア車を外して編成を短縮している。一部の編成は車両の組み替えによって6ドア車を外した。

5号車に6ドア車を組み込んだ中央・総武線のE231系0番台。先頭車に6ドア車を組み込んでいることを示すロゴマークがある。【撮影:草町義和】

中央・総武線で6ドア車を組み込んだ編成は1月9日時点で5本だけに。今後も「6ドア車外し」が進み、春頃には6ドア車が姿を消すとみられる。