もうひとつ存在した「東日本旅客鉄道」JR東日本より先に設立、同名会社の顛末



かつて国鉄が経営していた鉄道路線のうち、おもに東北・関東・甲信越の路線を引き継いだ「東日本旅客鉄道株式会社」。1987年4月1日、国鉄の分割民営化にあわせて発足し、「JR東日本」という略称で知られる。

JRの上野東京ライン。「JR東日本」こと東日本旅客鉄道が運行している。【撮影:草町義和】

ところが、JR東日本が発足した時点で「東日本旅客鉄道株式会社」を名乗る別の会社(A社)が存在していたことが分かっている。設立はA社のほうが先だった。

1988年2月13日付けの『毎日新聞』東京夕刊によると、A社の住所は東京都千代田区平河町で設立目的は「鉄道軌道業」。ただし実際には鉄道軌道業は行っていなかったという。単に同一の会社名というだけでなく、所在区(発足時点のJR東日本本社の所在地は千代田区丸の内の旧国鉄本社ビル)や目的まで共通していた。なぜ同名の2社が同時に存在することになったのだろうか。

会社名の発表後に設立

政府が国鉄分割民営化の方針を決めたのは1982年のことで、首相の諮問機関として設置された国鉄再建監理委員会が分割民営化の具体的な方法を検討した。1985年、監理委は国鉄を旅客6社と貨物1社の合計7社に分割民営化すべきと答申。これを受けて運輸省(現在の国土交通省)は、国鉄線を引き継ぐ7社の会社名を検討する。

翌1986年2月21日、当時の三塚博運輸大臣が中曽根康弘首相に会社名を報告。このとき、報道などで「東日本旅客鉄道」「日本貨物鉄道」といった7社の会社名が一般にも知れ渡った。その後、政府は国鉄を分割民営化するための法律案(国鉄改革関連法案)を9月11日に国会に提出し、審議入りした。

関連法案の中核となる国鉄改革法案では、「東日本旅客鉄道株式会社」など7社の会社名を明記したうえで国鉄の鉄道事業を7社に引き継がせるものとした。さらに、7社の基本事項を定めた「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律」(JR会社法)案では「商号の使用制限」を盛り込み、この7社ではない者が7社と同じ商号(厳密には7社の商号と同じ文字を含む名称)を使用することができないとした。

JR7社の会社名は国鉄改革関連法で定められた。写真は「JR九州」こと九州旅客鉄道の列車。【撮影:草町義和】

国が特殊法人や特殊会社を設立する場合、そのための法律を制定し、名称や商号の使用制限に関する条項を盛り込むことが多い。1964年に設立された日本鉄道建設公団(鉄道公団、現在の鉄道・運輸機構)の場合、設立に際しては日本鉄道建設公団法が制定され、鉄道公団でない者が名称に「日本鉄道建設公団」の文字を入れることができないという規定を盛り込んでいる。7社も設立時は国の特殊会社とすることになり、JR会社法案に商号の使用制限が盛り込まれた。

ところが国会提出から1カ月ほどが過ぎた10月7日、A社が「東日本旅客鉄道株式会社」という商号で東京法務局に設立登記してしまう。JR会社法の施行前どころか成立すらしていなかったため、同名で設立することができたのだ。

猶予期間を過ぎて裁判に

JR会社法が国会で成立して公布、施行されたのは、A社の設立登記から2カ月後の1986年12月4日のこと。これによりA社は「東日本旅客鉄道株式会社」という商号の使用を禁止された状態になる。実際は同法で猶予期間が定められており、施行から6カ月以内に商号の変更手続きなどを行えば問題なかった。

ところがA社は変更などの手続きを行わず、1987年4月1日に国鉄改革法の全面施行でJR東日本が発足。この時点で「東日本旅客鉄道株式会社」を名乗る会社が2社、併存する形になった。

A社はその後も商号変更などの動きを見せず、ついに猶予期限の1987年6月4日を過ぎてしまった。このためJR東日本はA社に対し「東日本旅客鉄道株式会社」の商号使用禁止などを求め、東京地方裁判所に提訴。1988年2月12日の判決ではJR東日本の主張が全面的に認められ、A社に対し商号の使用禁止と登録抹消手続きを命じた。

被告のA社は裁判で、商号の使用禁止は憲法第29条で定める財産権の侵害に当たるなどと主張していた。しかし判決はJR東日本の設立目的に「強い公共性」があるとし、JR会社法が商号の使用制限を定めていることは「公共の福祉の観点からみて、これを是認することができる」とした。

その一方、A社に対し商号変更を強制する形になることから「仮に被告の登記商号が法律上正当なものであるとすれば、憲法29条3項により損失補償を受ける余地がないわけではない」ともしていた。ただ、分割民営化後の会社名が新聞などで報道され一般に明らかになったのは、A社設立の8カ月ほど前。判決は「(JR会社法が)施行されると、(A社の設立者は)本件商号の使用を禁止されるに至ることを十分認識していたことが認められ(中略)法律上保護に値するものであるか否かは、甚だ疑問」とし、商号変更などによる損失補償も認めなかった。

現在はJR会社法の対象外だが…

この判決後、A社がどうなったのかは確認できていない。JR会社法では商号の使用制限に違反した場合は5万円以下(施行時、現在は10万円以下)の科料と定めているが、実際に刑事事件になったかどうかも不明だ。

それにしても、A社が判決の通り「商号の使用を禁止されるに至ることを十分認識していた」とすれば、A社が何をしたかったのかよく分からない。何となく想像はつくものの、それを証明する情報は確認できていないし、そこには触れないほうがいいのかもしれない。

現在のJR東日本はJR会社法の対象外。所在地が異なれば同名の設立登記は可能なはずだが…。【撮影:草町義和】

ちなみに現在のJR会社法では、完全民営化を達成したJR東日本・JR東海・JR西日本・JR九州の4社を同法の対象から外している。このため、商業登記法に基づく「同一商号・同一本店禁止」の原則などを守れば、たとえば北海道稚内市を所在地とする「東日本旅客鉄道株式会社」を設立登記することは可能かもしれない。

ただし、現在のJR東日本が非常に有名な鉄道会社であることを踏まえると、不正競争防止法で定める「著名表示冒用行為」「混同惹起行為」を問われる可能性が高く、結局は罰金刑や懲役刑、損害賠償の対象になりそうだ。

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