阪急「新大阪連絡線」始動から80年、最初の計画からどう変わった?



ときどき浮上してはフェードアウトを繰り返している阪急電鉄の大規模プロジェクトが、また大きな話題になっている。「新大阪連絡線」と「なにわ筋連絡線」のことだ。

東海道新幹線・新大阪駅の東京寄りにある高架下の「空間」。ここを阪急新大阪連絡線の電車が走るはずだった。【撮影:草町義和】

阪急阪神ホールディングス(HD)の嶋田泰夫副社長(3月からHD社長)は、新大阪連絡線・なにわ筋連絡線の2031年開業を目指す考えを明らかに(2022年12月27日産経新聞)。同社子会社の阪急電鉄も同様の方針を明らかにしたという(2022年12月28日NHK)。

新大阪連絡線は東海道・山陽新幹線が乗り入れる新大阪駅と、阪急の京都・宝塚・神戸各線が乗り入れる十三駅を結ぶ計画。一方、なにわ筋連絡線は十三駅と梅田貨物駅跡地の再開発地域(うめきた)を結び、今年2023年3月に使用開始する大阪駅の地下ホーム(うめきたエリア)に乗り入れる。

現在、大阪(うめきた)~JR難波・南海新今宮を結ぶJR西日本・南海電鉄の新線「なにわ筋線」が2031年春の開業に向け工事中。阪急としては新大阪連絡線・なにわ筋連絡線の新大阪~十三~大阪(うめきた)を一体的に整備してなにわ筋線への直通運転を図る考えだ。これによりうめきたや難波、関西空港方面へのアクセス向上を図る。

新大阪連絡線・なにわ筋連絡線は比較的最近浮上した計画・構想のように思われているが、新大阪連絡線は計画の始動から80年以上の歴史がある。その経緯と計画の変化をたどってみた。

最初に計画したのは阪急と京阪

新大阪連絡線の原型といえる計画が国に申請されたのは、太平洋戦争が始まって2週間後の1941年12月22日のこと。申請区間は園田~三国と吹田~三国の2区間だった。

当時の鉄道省の文書によると、園田~三国の申請線は起点が「兵庫県川辺郡園田村法界寺字西溝四五番地(神戸線園田停留場)」で終点は「大阪市東淀川区三国町(省新幹線大阪停車場)」。「大阪府豊能郡庄内町、同郡小曽根村」を経由し、距離は5.35kmとしていた。

吹田~三国の申請線は3.6km。起点が「大阪市東淀川区相川町(京阪吹田停車場)」で、「大阪市東淀川区小松町、北大道町、南大道町、上新庄町、下新庄町、国次町」を経由。終点は「大阪市東淀川区三国町」とし、園田~三国の申請線と連絡するとしていた。

阪急が申請した園田~三国(弾丸列車の新大阪駅)の概要。阪急神戸線から分岐する路線になる。【所蔵:国立公文書館】
吹田~三国の概要。こちらは新京阪線(現在の阪急京都線)を運営していた京阪電鉄が申請した。【所蔵:国立公文書館】

詳細なルートは不明だ。しかも鉄道省の文書では経由地と距離が合致しない。地図上で経由地をすべて通るように線を描くと記載の距離より長くなり、距離を合わせようと線を描けば経由地を一部パスしなければならなくなる。いずれにせよ経由地に「省新幹線大阪停車場」(「省」は鉄道省)があることからも分かるように、新幹線の新大阪駅に連絡するルートで整備することが考えられていた。

ただ、申請時期は東海道新幹線の計画が国に承認(1958年)される17年も前。しかも2区間のうち吹田~三国を申請したのは阪急電鉄ではなく京阪電鉄だ。これは一体どういうことなのか。

昭和初期の1931年、満州事変が勃発。翌1932年の満州国成立を機に日本~朝鮮・中国大陸の輸送需要が急増した。当時は本州西端の下関まで鉄道を利用し、国鉄連絡船に乗り換えて朝鮮半島南部の釜山に向かうのが大陸に渡る速達ルートのメイン。そのため東京~下関を結ぶ東海道本線と山陽本線も輸送量が増加し、輸送力の行き詰まりが見えていた。

国鉄線を運営していた鉄道省は輸送力の強化策として「新幹線鉄道」を計画。東海道・山陽本線に並行して高速運転が可能なバイパス線を整備することにし、帝国議会の承認を経て1940年に着工した。いまの東海道新幹線と山陽新幹線に相当するが、一般には弾丸のように速い列車=「弾丸列車」と呼ばれていた。

弾丸列車は現在の大阪市北部を東西に横断するルートが考えられ、東海道本線・吹田~大阪のほぼ中間(現在の東海道本線・東淀川駅の北側)で交差。この交差部付近に弾丸列車の新大阪駅を設けることが計画された。

そこで弾丸列車の新大阪駅に連絡する新線を建設しようと手を挙げたのが阪急電鉄と京阪電鉄だった。阪急は神戸線から東に進んで新大阪駅に乗り入れる支線を建設。京阪は新京阪線から分岐して新大阪駅につなげる支線を建設することを計画した。新京阪線とは現在の阪急京都線のこと。路線の大半は京阪系列の新京阪鉄道が建設し、1930年に京阪電鉄が同社を合併した。申請書にある「京阪吹田停車場」は現在の阪急京都線の相川駅だ。

弾丸列車の新大阪駅と新京阪線・阪急神戸線の連絡を図る申請線のルート(赤、鉄道省文書に記載の距離に準じた推定)。現在の相川寄りは京阪、園田寄りは阪急が申請した。【画像:国土地理院地図、加工:草町義和】
かつて新京阪線の京阪吹田駅だった阪急京都線の相川駅。【撮影:草町義和】
JR東海道本線の東淀川駅。同駅の北側(左奥)で東海道本線と弾丸列車の線路が交差して交差部に新大阪駅が設けられる計画だった。【撮影:草町義和】

2023年3月18日に全線開業する西谷~新横浜~日吉の新線は、東海道新幹線が乗り入れる新横浜駅を境に西谷寄りが「相鉄新横浜線」、日吉寄りが「東急新横浜線」になるが、それと似た構成だったといえるだろう。

しかし1943年には交通統制により阪急が京阪を合併し、京阪吹田(相川)~新大阪~園田の申請も結果的に阪急1社に統合された。ところがこの頃、弾丸列車の工事は戦局の悪化による資材不足などから中止になり、阪急の申請線も宙に浮いた格好になってしまった。戦後に鉄道省の業務を引き継いだ運輸省は1949年頃、「幹線鉄道計画(弾丸列車)は目下の処、見通し立たざる状態」として申請書類を阪急に返付したようだ。

ちなみに1949年12月、阪急から旧・京阪電鉄の路線が分離して京阪電鉄が再発足したが、新京阪線は阪急に残って同社の京都線となった。

東海道新幹線の建設で再始動も…

戦後復興が進むにつれ、東京・名古屋・大阪の三大都市圏を結ぶ東海道本線は輸送量が急増し、再び輸送力の限界が見えてきた。こうして1958年、東海道新幹線の建設が決定。終点の新大阪駅は弾丸列車の新大阪駅の予定地から南西約1kmの地点(東淀川駅の南側)に建設されることになった。

これを受けて阪急も新大阪連絡線の計画を再始動する。新大阪駅の予定地が変わったこともあり、新たに淡路~新大阪~十三4.0kmと新大阪~神崎川2.9kmの地方鉄道免許を申請。1961年12月26日に免許された。阪急各線から新大阪駅への直通運転を行うほか、京都線の急行線としても活用する計画だった。

阪急が免許を受けた新大阪連絡線のルート(赤)。【画像:国土地理院地図、加工:草町義和】

新大阪連絡線の新大阪駅は新幹線ホームに隣接して島式ホーム2面4線を整備することに。同駅北側では土地区画整理事業により新大阪連絡線用の土地が確保された。途中で新幹線と立体交差することから、新幹線の高架橋は新大阪連絡線の線路が高架下をくぐれるようスペースを確保した。

一方、大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)御堂筋線の新大阪駅はホーム上に新大阪連絡線の線路やホームを載せるための構造物を整備。東海道本線のホームなどにも新大阪連絡線用の支柱が設置された。

御堂筋線の新大阪駅ホームをまたぐように設置された新大阪連絡線用の構造物(2005年撮影)。島式ホーム2面4線の計画だった。【撮影:草町義和】
2017年の同じ場所。増設された新幹線ホーム(左)は新大阪連絡線のスペースを一部使用している。【撮影:草町義和】

こうして1964年、東海道新幹線・東海道本線・御堂筋線が乗り入れる新大阪駅が開業。1972年には山陽新幹線も同駅に乗り入れるようになった。しかし新大阪連絡線はルートの一部で用地買収が難航。これに加えて新大阪駅周辺の開発が進まなかったことなどもあり、計画は実質凍結状態となってしまった。運輸大臣の審議会による大阪圏の鉄道整備基本計画も1963年から新大阪連絡線を盛り込んでいたが、1971年の基本計画では新大阪~神崎川を除外。整備区間を十三~新大阪~淡路のみに縮小した。

こうして阪急は2003年、免許区間のうち淡路~新大阪と新大阪~神崎川の鉄道事業を廃止。残る新大阪~十三は今後の開発の進展などを見ながら検討することになった。

新大阪連絡線用として買収された土地の一部は現在、駐車場などに使われている。新大阪駅北側の用地のうち淡路寄りには新大阪阪急ビルが建設され、2012年にオープン。翌2013年から2014年にかけ新幹線のホーム(27番線)と引上線が増設されたが、これも新大阪連絡線の用地を活用して整備された。

新大阪駅の十三・神崎川寄りに確保された新大阪連絡線用の土地。駐車場として活用されているが新幹線の引上線の増設で狭くなった。【撮影:草町義和】
新大阪駅の新幹線ホームのうち27番線ホーム(左)は新大阪連絡線のスペースを活用して整備された。当初の計画通りに建設されていれば新幹線車両と阪急電車が並ぶ姿を見られたかもしれない。【撮影:草町義和、加工:鉄道プレスネット】

「うめきた」再開発で実現なるか

新大阪連絡線がなかなか具体化しないまま時が過ぎた1989年、運輸大臣の審議会が改めて大阪圏の鉄道整備基本計画(運輸政策審議会答申第10号)を取りまとめ、新大阪連絡線を2005年までの整備着手が適当な路線として引き続き盛り込む。さらに新大阪・梅田方面と難波・関西空港方面の短絡を図る「なにわ筋線」を2005年までの整備が適当な路線として盛り込み、なにわ筋線と阪急の十三駅を結ぶ「なにわ筋線連絡線」も2005年までに整備着手する路線として新たに盛り込んだ。

当時は大阪駅北側の梅田貨物駅を移転して跡地(うめきた)を再開発する構想が浮上し、関西空港も完成に向け動き出していた。そこでうめきたエリア沿いを通る東海道本線貨物支線(梅田貨物線)の新大阪駅から再開発エリアまで旅客化してなにわ筋線に組み込み、再開発エリア内に新駅を設置。この新駅になにわ筋連絡線が乗り入れることで阪急各線となにわ筋線の連絡も図る狙いがあった。

しかし、再開発で必要な梅田貨物駅の移転計画が進まなかったこともあって、各線の着手・整備も具体化しなかった。そうこうしているうちに阪急は先に述べた通り、新大阪~十三を除いて新大阪連絡線の鉄道事業を廃止してしまった。

2004年に近畿地方交通審議会が策定した大阪圏の鉄道整備構想では、なにわ筋線が「中長期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線」として位置付けられたものの、なにわ筋連絡線と新大阪連絡線は構想から除外された。その一方、大阪市営地下鉄四つ橋線を西梅田駅から十三駅まで延伸する構想が盛り込まれ、新大阪~十三に縮小された新大阪連絡線と一体的に整備することも考えられるようになった。

2010年代に入ると、うめきたの再開発が本格的に動き出したことやインバウンドで訪日外国人観光客が増加したこともあり、なにわ筋線などの構想も具体化に向け動き出した。2017年には関係5者がなにわ筋線の早期事業化に向け協力することで一致したと発表。同時になにわ筋連絡線も調査・検討を進めるものとした。

こうしてJR西日本・南海電鉄・関西高速鉄道の3社は2019年7月、なにわ筋線の鉄道事業許可を取得。続いて同線を建設する関西高速鉄道が2020年2月に工事施行認可を受けて工事に着手した。一方で新大阪連絡線・なにわ筋連絡線を一体的に整備してなにわ筋線に接続し、新大阪~十三~大阪(うめきた)~難波~関西空港を結ぶ直通列車の構想も語られるようになった。

現在は新大阪連絡線・なにわ筋連絡線を整備して現在工事中のなにわ筋線に接続し、新大阪~関西空港を十三・うめきた・難波経由で結ぶ構想に変わった。【画像:国土地理院地図、加工:草町義和】

阪急各線の2本のレール幅(軌間)は1435mmの標準軌なのに対し、なにわ筋線は1067mmの狭軌で計画されている。このため同線と直通する新大阪連絡線・なにわ筋連絡線は従来の計画と異なり1067mmで建設されることになり、既存の阪急各線からの直通はできない。現在の構想通りに話が進めば、阪急としては初めて狭軌線を運営することになる。

このため、十三駅では乗換客の動線を考慮した乗り換えしやすい構造で新大阪連絡線・なにわ筋連絡線のホームを整備できるかどうかが課題になる。阪急は2022年10月、十三駅の113カ所にカメラを設置して旅客流動の調査を実施しており、その調査結果は新大阪連絡線・なにわ筋連絡線の検討に活用するという。

ちなみに梅田貨物線は連続立体交差事業として線路の地下化工事が進み、今年2023年2月13日から地下線の使用を開始。3月18日には新駅が大阪駅の地下ホーム(うめきたエリア)として使用開始の予定だ。当面はおおさか東線の列車や特急「はるか」「くろしお」が停車する。8年後の2031年春には少なくともなにわ筋線の列車も同駅に乗り入れる予定。阪急は今回、なにわ筋線と同時期に新大阪連絡線・なにわ筋連絡線を開業する考えを示したことになる。

2023年3月から使用される大阪駅(うめきた)の地下ホーム。将来的にはなにわ筋線が乗り入れるほか新大阪連絡線・なにわ筋連絡線の列車も乗り入れることが考えられている。【撮影:草町義和】

ただ、これから8年後に開業するには遅くとも1~2年後までに財源スキームや工事計画の概要を決めないと厳しいのではないかと思われる。阪急電鉄の広報部に取材したところ「(当社としては)2031年の開業を目指すということ」と話し、工期や財源のめどが立ったうえでの考えではないことを示唆した。

最初の計画始動から80年以上が過ぎているにもかかわらず、いまだ日の目を見ていない新大阪連絡線。計画自体も最初の頃とは大きく変化したが、今度は実現に向け本格的に動き出すことになるのかどうか注目される。

※追記(2023年1月8日22時40分):初出時、1941年の申請内容の記述に誤りがありました。おわびして訂正いたします。

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