宮脇俊三「宇高連絡船と女子高生」から垣間見える時間感覚



西九州新幹線の開業に伴う最長片道切符のルートの変化が話題になったのを機に、久しぶりに宮脇俊三『最長片道切符の旅』(新潮社、1979年)を読み返した。記憶から抜け落ちていた話もいくつかあった。

かつて運航されていた宇高連絡船の「阿波丸」。【画像:spaceaero2/wikimedia.org/CC BY-SA 3.0】

そのうちの一つが1978年12月7日、本州の宇野線の終点、宇野駅(岡山県玉野市)と四国の予讃本線・高徳本線の起点、高松駅(香川県高松市)を1時間で結んでいた瀬戸内海の国鉄航路「宇高連絡船」に乗ったときの話だ。

 宇野着6時56分、高松行の連絡船は7時15分出航である。
 連絡船への跨線橋を新聞だけ持った人たちが歩いて行く。黒い皮鞄を提げた女子高校生も多い。旅行者らしい姿は見えない。これは通勤通学船なのだ。
 久しぶりの船旅にはしゃいで、デッキを歩いたり上甲板に上ったりしているのは私たちだけである。他の客は坐って新聞を読み、教科書を開いている。電車とちがって船は広々しているし、大都会の通勤通学者とは雲泥の差がある。体操もできれば横になって眠ることもできる。客室の上のロビーに坐れば瀬戸内海の島々も見られる。贅沢で優雅な通勤であり通学だ。念のためロビーに坐っていた女子高生の一人に訊ねてみると、やはり高松の高校に通っているとのことであった。
「いいなあ」
 と私は思わず言った。するとプッと頰がふくれる。それはそうであろう。船に乗っている時間だけでも片道正一時間である。その前後に要する時間を加えれば相当な長時間通学になる。

※「第27日 岡山-宇野~高松-佐古-阿波池田-窪川-北宇和島」より

当時は瀬戸大橋開通の10年前。本州と四国の国鉄線は宇高連絡船のほか、呉線の仁方駅(広島県呉市)と予讃本線の堀江駅(愛媛県松山市)を連絡する「仁堀連絡船」で結ばれていた。そのため北海道から九州へ向かう最長片道切符のルート中に四国を組み込むことが可能だった。しかし1982年に仁堀連絡船が廃止されたため、四国に立ち寄ることは不可能に。宮脇の『最長片道切符の旅』は、最長片道切符で四国に出入りできた頃の貴重な記録といえる。

『最長片道切符の旅』を初めて読んだ小学生の頃、私の父は片道1時間の列車通勤をしていた。そのため当時は「通勤とは列車で1時間くらいかかるもの」という認識を持っていた。「片道正一時間」を「相当な長時間通学」と評した宮脇の言葉も、「プッと頰がふくれ」た女子高生にも、どこかピンとこないものがあった。

しかし、総理府の社会生活基本調査(1986年)によると、通学時間の全国平均は15~19歳で1時間18分。片道なら40分弱になり、宇高連絡船での通学は自宅・学校~駅(港)のアクセス時間を除いても当時の全国平均より20分ほど長いことになる。船内で「体操もできれば横になって眠ることもできる」としても、ほかと比べて時間がかかれば頬を膨らましたくもなるだろう。

ちなみに社会生活基本調査は現在、総務省が5年おきに実施している。2021年の調査によると、通勤・通学時間は全国平均が1時間19分(片道39.5分)。都道府県別の平均で最も長かったのは神奈川県の1時間40分(片道50分)だった。コロナ禍前の2016年と比べると全国平均は同じだったが、神奈川県はテレワークの普及が影響したのか5分短縮されている。

『最長片道切符の旅』を初めて読んでから40年以上。その間、私は混雑率が200%前後の路線での1時間の通勤を何度か経験した。いまとなっては「いいなあ」といいたくなる気持ちと「プッと頰がふくれ」た女子高生の気持ちの両方とも分かるような気がする。

《関連記事》
宇野線の「遠回り」解消するはずだった「幻の短絡線」 児島湾に残る計画の痕跡
瀬戸大橋の在来線列車「半分だけ新幹線」走る 四国横断新幹線が通る日は来るか