宇野線の「遠回り」解消するはずだった「幻の短絡線」 児島湾に残る計画の痕跡

岡山駅から南下して岡山県玉野市内の宇野駅に至る、全長32.8kmの宇野線。終点の宇野駅は瀬戸内海に面しており、かつては同駅と四国の高松駅を結ぶ鉄道連絡船(宇高連絡船)に接続していた。

宇野線のほぼ中間にある茶屋町駅。現在は本四備讃線が分岐している。【撮影:草町義和】

ところでこの宇野線、中間は西側に大きく遠回りするルートになっている。これは意図的に遠回りにしたのではなく、同線が開業した明治期の海岸線(児島湾)に沿って建設されたため。のちに児島湾が干拓されて宇野線の東側に陸地ができあがり、遠回りしているように見えるだけだ。

■「淡水化」の一環で堤防を整備

終戦直後、児島湾の淡水化事業の一環として、干拓地の東側に締切堤防を建設する計画が浮上。この堤防を活用して岡山~宇野間を短絡する鉄道・道路を整備し、本州と四国の交通を改善しようという構想も浮上した。

鉄道の場合、国鉄の宇野短絡線として整備することが構想されていた。宇野線の大元駅で分岐する専用側線を活用して延伸。締切堤防を通り、宇野線の八浜~備前田井間にあるトンネルの手前で再び同線に合流することが考えられていた。これにより岡山~宇野間は10kmほど短縮されるはずだった。

宇野線と宇野短絡線(赤、ルートは推定)、専用側線→岡山臨港鉄道(青)の位置。【画像:『カシミール3D 地理院地図+スーパー地形』を使用/加工:草町義和】

農林省児島湾沿岸農業水利事業所『児島湾沿岸農業水利改良事業概要書』(1949年)に収録されている締切堤防の横断面図によると、擁壁に囲まれた堤防の上に道路のスペースのほか、鉄道の路盤も点線で描かれている。

締切堤防の横断面図。堤防の上に道路のスペース(右)と鉄道のスペース(左)が確保されている。【画像:農林省児島湾沿岸農業水利事業所『児島湾沿岸農業水利改良事業概要書』(1949年)】

児島湾の締切堤防は1951年から事業に着手したが、この時点で運輸省と建設省が手を引いて農林省の単独事業となったこと、さらには本四架橋が具体化に向けて動き出したことも影響したのか、宇野短絡線の整備はすぐに立ち消えてしまった。

■国鉄に続いて三セク鉄道の構想も

一方、大元駅から分岐する専用側線は営業路線化することになり、岡山県や岡山市、沿線の企業などが第三セクターの岡山臨港鉄道を設立し、1951年に同社の営業路線として開業した。

さらに岡山臨港鉄道は翌1952年4月14日、締切堤防を通って宇野に至る新線の地方鉄道敷設免許を申請している。立ち消えになった国鉄の短絡線構想を引き継ごうとしたのだろう。しかしこの計画も1966年12月7日に免許申請が取り下げられており、1984年には岡山臨港鉄道の既設路線も廃止された。

締切堤防は1961年に完成し、堤防上には有料道路(1974年に無料化)が整備されたものの、鉄道の計画は幻に終わった。ただ、堤防の幅は道路と鉄道の両方を建設できる当初の計画とほぼ同じように建設されており、本来は鉄道が通るはずだったスペースは遊歩道が設けられている。この遊歩道が幻の短絡線の名残といえるだろう。

児島湾の締切堤防。右側に道路、左側には鉄道用のスペースを活用した遊歩道が設けられている。【撮影:草町義和】

1988年、本四架橋の瀬戸大橋が開通。宇野線の途中にある茶屋町駅から分岐して瀬戸大橋経由で四国に乗り入れる本四備讃線(瀬戸大橋線)も開業した。列車は宇野駅を通ることなく四国に直通し、この時点で岡山~宇野間を短絡する必要性も薄れた。ただ、両備バスが締切堤防の道路を経由して岡山~宇野間を走るバス(玉野渋川特急線)を運行しており、これが短絡線の代替バスといえるかもしれない。

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