日本初の鉄道「高輪築堤」佐賀県が県内への一部移設・保存目指す 移設先など検討へ



高輪ゲートウェイ駅周辺で出土した石積みの高輪築堤と橋台。【画像:JR東日本】

佐賀県の山口祥義知事は7月16日、山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)付近で出土した「高輪築堤」について、遺構の一部を佐賀県内に移設して保存したい考えを明らかにした。

同日行われた定例記者会見で、山口知事は「(高輪遺構の)主要部分は何とか残る方向で進んでいると聞いている。ただあまりにも壮大に残っているから、すべて(現地保存する)というのは難しいのでは。そのなかで佐賀県のなかに持ってこられるものがあるんじゃないか」と述べ、「JR東日本と港区には我々の意向を伝えている。どういう方法でやれるのか、両者とも相談しながら進めたい」と話した。

移設先や活用方法などについては「まだ決まっていない」としつつ「美術館や博物館のエリアだったり、大隈重信記念館だったり、早稲田佐賀(早稲田大学系の中学校・高校)の校内だったり。そういったイメージを持ちながら検討を進めていきたい」と話した。

高輪築堤は明治初期の1872年に開業した、日本初の本格的な鉄道である新橋(現在の汐留地区)~横浜(現在の桜木町)間の鉄道を敷設するため構築された構造物群。

この鉄道を建設する際、兵部省が軍事上の理由から高輪周辺の土地を手放さなかったため、海上に鉄道用の築堤が建設された。このとき海上敷設を命じたのが、のちに首相や早稲田大学総長を務めた大隈重信(現在の佐賀市出身)とされている。

のちの埋め立てや車両基地の整備などで地中に埋まったが、2019年に品川駅の改良工事で築堤の石積みを発見。さらに昨年2020年には、車両基地の縮小で捻出された品川開発プロジェクトのエリア内で築堤の一部が出土した。

JR東日本は一部の現地保存と移築保存を計画しているが、日本考古学協会はJR東日本の計画に反対。高輪築堤の全面保存を求めている。山口知事は記者会見で「我々にとっては貴重な遺構」とし、県内への一部移設に向けた検討を進めていく方針を示した。

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