海面が迫っていた日本初の鉄道駅【写真でたどる鉄道の歴史】



1872年(明治5)の10月14日(旧暦9月12日)、新橋(のちの汐留)~横浜(現在の桜木町)を結ぶ官設鉄道が日本初の鉄道として開業した。実際はこれより4カ月前の6月12日(旧暦5月7日)に品川~横浜が仮開業しており、品川駅は現在の桜木町駅とともに日本初の鉄道駅になる。

八ツ山橋から撮影した明治期の品川駅。【出典:『日本国有鉄道百年写真史』日本国有鉄道、1972年10月】

この写真は明治期の品川駅。『日本国有鉄道百年写真史』は1877年(明治10)ごろの撮影としているが、奥に見える跨線橋は1882年(明治15)に設置されたものらしく、もう少し新しい時期に撮影された可能性が高い。

写真は八ツ山橋から撮影したものとされる。八ツ山橋は品川駅構内の南端で東海道本線や東海道新幹線の線路をまたいでいるが、すぐ手前に相対式2面2線のホームが見えるということは、当時の品川駅は現在地よりかなり南にあったようだ。それにしても相対式2面2線のこぢんまりとした姿は、いまの品川駅からは想像できない。

写真右上の白っぽくなっている部分は海だ。ホームのすぐそばまで海面が迫っている様は、現在の鶴見線・海芝浦駅や信越本線・青海川駅、島原鉄道の大三東駅を想像させる。どこかのどかな光景だ。

新橋~横浜の鉄道建設の際、現在の浜松町駅付近から品川駅にかけての地域は軍用地が多く、兵部省(現在の防衛省に相当)が建設用地の提供を拒否。このため海上に鉄道用の路盤を建設した。近年話題になった高輪ゲートウェイ駅付近の高輪築堤は、このとき海上に建設された路盤だ。品川駅も海岸線に沿って建設され、駅の東側は東京湾の海面が広がっていた。

1897年(明治30)ごろとされる品川駅。線路が増え、構内の様子がかなり変わっている。【所蔵:日本国有鉄道】

ホームから海が見えるのどかな品川駅はその後、新宿方面から延びてきた現在の山手線が乗り入れるようになったのに加え、海側を埋め立てて巨大化。いまでは京急線や東海道新幹線の駅も併設されている。将来はリニア中央新幹線のターミナルが設けられ、東京メトロ南北線も乗り入れる予定。駅の北側では車両基地跡地の再開発が進行中だ。

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