遅くとも大正初期の1915年までに撮影された、函館本線の大沼公園付近を走る貨物列車の写真。先頭の蒸気機関車はやや不鮮明だが「7805」と記されたナンバープレートを掲げており、7800形の7805号機とみられる。

7800形は英国ノース・ブリティッシュ製の先輪1軸+動輪3軸(1C)のテンダ式蒸気機関車。1904年に6両が製造され、のちの国鉄函館本線を運営していた私鉄の北海道鉄道がC2形として導入した。C2形より前に導入されたC1形と同じ1Cテンダ機だが、北海道の自然環境にあわせて運転台の密閉性を向上させている。
北海道鉄道時代のC2形6両の車両番号は「12~17」。「1」から始まっていないのは不思議だが、同社の蒸気機関車の車両番号はA1形(1両)が「1」、A2形(1両)が「2」、B1形(2両)が「3・4」……というように、形式ごとではなく全体で連番にしていた。
北海道鉄道は1907年に国有化されてC2形も国鉄に編入。1909年には形式名と車両番号が変更され、改めて7800形という形式名が割り当てられている。このころの車両番号は1両目が形式名と同数で、2両目は「形式名+1」、3両目は「形式名+2」というように付番するのが普通だったから、C2形6両の車両番号は「7800~7805」になるはずだ。
ところが、6両に設定された車両番号は「7802~7807」。「7800」「7801」ではなく中途半端な「7802」から始まっている。旧番号が12~17だったから、多少なりとも関連性を持たせたのか?
実は「7800」「7801」の2両分は、関西鉄道(現在の関西本線など)を国有化した際に引き継いだ、30形蒸気機関車「電光(いなづま)」に割り当てている。臼井茂信『国鉄蒸気機関車小史』(交友社、1956年)によると、1907年に国鉄が引き継いだ「電光」は12両。1909年には7850形という形式名を割り当てたが、このとき2両だけ誤って「7800」「7801」を割り当ててしまい、北海道鉄道のC2形6両がそれの続番になったという。

結局、1912年に7800・7801号機は先に7850形としての番号が割り当てられていた10両(7850~7859)の続番となる7860・7861号機に改番。これにより「7800」「7801」は欠番になった。
1906~1907年にかけ全国の私鉄17社が国有化され、国鉄線の総距離は従来の約2500kmから約7000kmに増加。国鉄の蒸気機関車保有数も約770両から約1900両に膨れあがった。1909年に車両の形式を改定したのは、各社から引き継いだ車両の形式名や番号を整理して管理しやすくするためだったが、あまりにも膨大な数だったため付番時の誤りが生じたのだろう。
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