弘南鉄道大鰐線「JR線に並行の地方私鉄」生まれたワケ 幻に終わった延伸・支線計画



青森県弘前市を中心に弘南線と大鰐線の鉄道2路線を運営する弘南鉄道が、大鰐線を廃止する意向を表明した。これを受けて青森県の宮下宗一郎知事は、沿線自治体と連携して大鰐線利用者の交通手段の確保を図る考えを示した。

廃止を前提にした休止の方針が示された弘南鉄道の大鰐線。【画像:Nuh/写真AC】

弘南鉄道は11月27日、大鰐線について厳しい収支状況に加え、安全輸送の確保に必要な人員の確保が難しいとして「運行継続が困難」と表明。廃止を前提に2027年度末をもって営業を休止する考えを示した。

翌11月28日に開かれた青森県議会で宮下知事は、弘南鉄道が廃止の意向を示したことについて「大変残念なこと」としつつ「交通事業者として苦汁の決断であり、重く受け止めざるをえない」と話し、弘南鉄道の方針に一定の理解を示した。

今後については「大鰐線利用者の交通手段を確保することを第一義として安全運行が確保されるとともに、弘南線は今後とも安定的に運行されるよう沿線市町村を連携していく」と述べ、大鰐線の代替交通の確保と弘南線の存続に取り組む考えを示している。

政府権限「流動化」のなかで計画

大鰐線は大鰐町と弘前市を結ぶ全長13.9km、単線電化の鉄道路線。JR奥羽本線の大鰐温泉駅に隣接する大鰐駅を起点に、奥羽本線に並行するルートで弘前市中心部の中央弘前駅に至る。

終戦直後、地域輸送の改善を目的に弘前電気鉄道として計画。当時の弘前市長だった岩淵勉らを発起人とし、1946年に大鰐駅から弘前市中心部を経て国鉄(現在のJR)五能線の板柳駅に至る全長約30kmの地方鉄道免許を申請した。岩淵は戦前、陸奥鉄道(現在のJR五能線)や津軽鉄道の経営に関わっている。申請から2年後の1948年、大鰐~板柳の免許を取得した。

大鰐~板柳を結ぶ弘前電気鉄道の地方鉄道免許申請書。【画像:国立公文書館】
弘前電気鉄道の申請を受けて運輸省が作成した申請ルートと周辺の鉄道路線の略図。【所蔵:国立公文書館】

弘前から板柳まではともかく、大鰐から弘前までは奥羽本線につかず離れず並行するルート。既設の鉄道路線に並行する鉄道の計画は、需要に対して供給が過大になる懸念から、国に免許を申請しても認められないことが多かった。しかも弘前電気鉄道の計画エリアは大都市圏ではなく地方の都市圏で、需要はかなり小さい。

しかし、当時の奥羽本線は貨物輸送と中長距離の旅客輸送が主体で普通列車の運行本数が少なく、地域輸送機関としては不便だった。また、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領統治下で政府の権限が流動化していたことも背景にあり、計画が認められやすかった面がある。

実際、終戦直後から1950年代にかけては、弘前電気鉄道のほかにも現在のJR線である国鉄線に並行する地方私鉄が各地で相次いで計画された。免許の取得まで進んだものとしては、蔵王高速電鉄(山形県、現在の奥羽本線・山形~かみのやま温泉に並行)や加越能鉄道(富山県・石川県、旧・北陸本線の富山~高岡~金沢に並行)などがある。しかし、これらは物価高騰の影響などを受けて実現しなかった。

これに対して弘前電気鉄道は三菱電機の経営支援を受けたこともあり、唯一実現の運びとなった。会社は1949年に設立。まず第1期区間として大鰐~中央弘前が着工し、1952年1月26日に開業している。1953年には西弘前駅(現在の弘前学院大前駅)から西目屋村の田代に至る支線(約18km)の地方鉄道免許も取得した。

弘前電気鉄道が支線(西弘前~田代)の免許申請時に提出した平面図。【所蔵:国立公文書館】

利用者減少のうえ脱線事故がとどめに

しかし、並行する奥羽本線やバスとの競合もあり、弘前電気鉄道は当初から赤字続き。このため板柳への延伸や支線の建設に着手することができず、1965年までに起業廃止(計画中止)が許可されて幻と化してしまった。その後も経営は好転せず、1970年には弘前市の東側エリアで弘南線を運営していた弘南鉄道に開業区間を譲渡。同社の大鰐線になった。

弘前電気鉄道の開業区間(黒)と幻に終わった計画中止区間(赤、一部推定)。【画像:国土地理院地図、加工:草町義和】

弘南鉄道への譲渡後は1974年度に年間利用者数が約390万人に達したが、これをピークに減少。2010年度は約63万人まで落ち込んだ。このため弘南鉄道は2013年に大鰐線の廃止方針を示したが、このときは沿線自治体の支援を受けて存続した。

それでも利用者の減少はとまらず、2023年度は27万2000人に。これに加えて昨年2023年は、大鰐線での脱線事故を機にメンテナンスの不備が判明し、大鰐・弘南の両線とも運休。全線再開までに2カ月半かかり、運輸収入が大幅に減少した。

この結果、2023年度の弘南鉄道の経常損失は過去最大の約2億3000万円に。こうしたことから弘南鉄道は、廃止を前提に大鰐線を休止し、今後は弘南線の経営に注力する考えを固めた。実際に2027年度末で休止した場合、終戦直後に計画された国鉄並行の地方私鉄で唯一実現した同線の歴史は、開業から76年で実質的に幕を閉じることになりそうだ。

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