【都会の廃線跡】アスファルトから顔出す「都電のレール」架け替えた橋も「軌道風」に



かつて東京都心部の道路を縦横無尽に駆け巡っていた「都電」こと都営の路面電車。1972年に荒川線を除く全線が廃止されて半世紀の歳月が流れたが、廃止時に埋めた軌道がときどき「出土」して話題になることがある。

かつて東京都心の道路を駆け巡っていた「都電」は荒川線のみ残る。【撮影:草町義和】

最近では2019年の年末、お茶の水橋(東京都千代田区・文京区)の改修工事でアスファルトを撤去した際、レールと敷石が姿を現した。御茶の水~錦町河岸を結んでいた軌道の名残で、戦時中の1944年に廃止されている。

お茶の水橋の改修工事で出現した都電の軌道(2020年2月)。【撮影:草町義和】

こうした舗装下のレールは簡単には見ることができないし、舗装の改修時に「出土」すれば撤去されてしまう。しかしアスファルトから顔を出す都電のレールをいまも簡単に見られる場所がある。現在の国道15号(第1京浜)・芝4丁目交差点と芝浦4丁目の埋立地を結んでいた「芝浦線」のレールだ。

JR田町駅から徒歩10分弱。港区芝浦2丁目にある芝浦2丁目交差点の南側は運河で行く手を遮られて袋小路になっている。ここにアスファルトからわずかに露出したレールが見える。レールが埋まった部分もアスファルトにヒビが入り、その位置がある程度分かる状態だ。軌道の分岐部があった場所は、ヒビの筋が二手に分かれるようにして伸びている。

芝浦2丁目交差点(奥)の南側(手前)。よく見るとレールが埋まった部分はアスファルトにヒビが入っている。【撮影:草町義和】
わずかだがレールがアスファルトから顔を出している。【撮影:草町義和】
交差点手前のアスファルト舗装に入ったヒビ(薄赤で加筆)をよく見ると軌道の分岐部があったことが分かる。【撮影・加工:草町義和】

車両工場につながる回送線

芝浦線は品川と上野を結ぶ都電1系統が運行されていた金杉線の東京港口停留場と、現在の芝浦4丁目にあった車両工場を結んでいた。車両工場の整備にあわせて工場への回送線として敷設され、1910年に使用開始。1926年からは旅客を乗せた電車も走るようになった。しかし戦時中の1944年、不要不急線として旅客営業を休止。その後は再び回送専用の軌道として使われていた。

かつての都電ネットワークと芝浦線(青)。【画像:国土地理院地形図、加工:鉄道プレスネット】

現在の地図でルートをたどると、近くに東京港口停留場があった芝4丁目交差点から東に進み、山手線・京浜東北線や東海道本線、東海道新幹線、東京モノレールの線路をくぐる。その先、芝浦1丁目交差点で右折して旧海岸通りを南南西へ。芝浦2丁目交差点を過ぎて現在も軌道の痕跡が残る道路を少し進むと運河がある。この運河に架設された橋(船路橋)を渡って車両工場があった芝浦4丁目の埋立地に入る。

車両工場は都電の廃止後、都営バスの自動車工場に。船路橋もバスが工場に入るための道路として活用された。しかし自動車工場は移転で閉鎖され、いまは高層マンションが林立する「芝浦アイランド」に。船路橋は工場の閉鎖後もしばらく残っていたが2007年までに撤去され、人道橋に架け替えられた。

車両工場につながっていた船路橋は撤去され人道橋に。2本のレールがデザインされている。【撮影:草町義和】
車両工場があった場所(奥)は再開発され高層マンションに。【撮影:草町義和】
船路橋の銘板。【撮影:草町義和】
船路橋のそばには橋の由来を説明する案内板がある。【撮影:草町義和】

人道橋として生まれ変わった船路橋の床には2本のレールを描いた「軌道風」のデザインが施されており、電車が車両工場に出入りしていた往時をしのぶことができる。

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