鉄道駅「首相襲撃」事件現場のいま 近鉄・大和西大寺駅の駅前はどう整備?



元内閣総理大臣の安倍晋三衆議院議員が鉄道駅の駅前で銃撃され死亡するという事件から3カ月が過ぎた。事件現場の「整備」をめぐってさまざまな意見が噴出しているが、過去の首相襲撃事件の現場は現在どのようになっているのだろうか。

東京駅では二人の首相が襲撃された。【撮影:草町義和】

日本の首相経験者のうち、在任中または退任後に殺害されたのは、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決による刑死者と安倍元首相を除くと6人。このうち3人が鉄道駅の施設内で殺害されている。

最も古いのは日本初の首相として知られる伊藤博文。明治末期の1909年10月26日、ロシア蔵相と会談するため満州(中国東北部)のハルビン駅を訪れた際、1番線ホームで韓国の民族運動家・安重根(アン・ジュングン)に銃撃され死亡した。伊藤は1885年から1901年にかけ首相を4回務め、襲撃時点では枢密院議長。韓国統監府の統監を辞任して4カ月後のことだった。

この事件から100年以上が過ぎた2014年、ハルビン駅の貴賓室を活用した「安重根義士記念館」が開館。駅舎の改装のため2017年3月にいったん閉館したが2019年3月に再オープンしている。1番線ホームの床には事件現場を示す目印が埋め込まれている。

伊藤博文が襲撃されたハルビン駅(写真は2009年)。【撮影:草町義和】
ハルビン駅のホーム床に埋め込まれた事件現場の目印。【画像:한영빈/wikimedia.org/CC BY-SA 3.0】

伊藤博文の事件から12年が過ぎた大正期の1921年11月4日、今度は現職首相の原敬が、国鉄職員で大塚駅(現在の東京都豊島区)の駅員だった中岡艮一によって刺殺された。この日の原は京都で開かれる立憲政友会の大会に出席するため東京駅から列車に乗ることに。現在の丸の内南口から改札口に向かって歩いていたところ、近くの群衆にまぎれていた中岡が原に向かって飛び出し、原の右胸に短刀を突き刺した。

事件現場となった丸の内南口のコンコース床には現在、現場の位置を示す目印が埋め込まれており、すぐそばの壁に「原首相遭難現場」と記されたプレートも設置されている。

東京駅の丸の内南口コンコースにある事件現場を示す目印とプレート(赤)。【撮影:草町義和】
目印は六角形を丸で囲んでいる。【撮影:草町義和】
目印のそばにある壁には事件の状況を説明したプレートが設置されている。【撮影:草町義和】

3人目の浜口雄幸首相も東京駅で襲撃された。昭和初期の1930年11月14日、浜口は神戸行きの特急「燕」に乗るため同駅を訪れ、7・8番線ホームを移動中に右翼団体構成員の佐郷屋留雄に銃撃された。浜口は一命を取り留めたものの首相職をこなせるほどには回復せず、翌1931年4月に首相を辞任。8月26日に死去した。

事件現場は現在、東海道本線や上野東京ラインの列車が発着する9・10番線ホーム。しかしホーム上には事件現場を示す目印やプレートは設置されていない。このホームの真下にある中央通路に事件現場を示す目印が埋め込まれており、少し離れた柱にもプレートが設置されている。

現在の東京駅の9・10番線ホーム。写真中央奥が事件現場と思われるが目印などは設置されていない。【撮影:草町義和】
事件現場の真下にある通路に目印・プレート(赤)が設置されている。【撮影:草町義和】
プレートは目印から少し離れた柱に設置されている。【撮影:草町義和】

大和西大寺駅前は「当初計画通り」に

安倍元首相は今年2022年7月8日、参院選の応援演説のため訪れた近鉄・大和西大寺駅(奈良市)付近で銃撃され死亡。駅施設内ではなく北口駅前に隣接する交差点の中央部で、ガードレールに囲まれた安全地帯で演説していたところを銃撃された。

大和西大寺駅の周辺は事件前から駅前広場や道路の整備が進行中で、北口駅前広場は来年2023年3月に完成の予定。北口駅前広場に隣接する交差点も駅前広場の使用開始にあわせて整備する予定で、安全地帯は仮設のものだ。しかし銃撃事件の現場となったのを機に「今後どのように整備を進めていくべきかが、新たな課題」(奈良市)になったという。

奈良市は10月4日、整備の方向性を最終決定したと発表。事件現場は当初の計画通り車道を整備し、慰霊碑などは整備しないものとした。

最終決定で採用された検討案(3)。銃撃事件の現場は当初計画通り車道を整備して慰霊碑などは整備しない。【画像:奈良市】

同市によると、(1)銃撃事件の現場が車道となるのを避けるため車線中央に三角洲の緑地帯を設置、(2)銃撃現場を歩道として整備して跡地に慰霊碑等を設置、(3)事件現場は当初計画通り車道として整備して周辺にも慰霊碑等は設置しない、の3案を検討した。

事件現場に三角州の緑地帯を設ける検討案(1)は廃案に。【画像:奈良市】
事件現場を歩道にする検討案(2)も廃案とされた。【画像:奈良市】

その結果、現場に目印や構造物などを設置すると交通安全上の支障が生じることや、「モニュメント等を設置すると、現場を通る度に事件を思い出すので必要ない」などの意見が多数寄せられたとして、(3)案を採用することにしたという。

同市は「事件現場を明るく整備し、人が笑顔で行き交う憩いの場所にしていくことで、市民の安全と平和を希求する気持ちを象徴する場になれば、と考えています」としている。

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