北海道新幹線の新青森~新函館北斗間以来、整備新幹線が6年ぶりに開業する。福岡市と長崎市を結ぶ九州新幹線・西九州ルート(長崎ルート・長崎新幹線)のうち、武雄温泉~長崎間(佐賀県・長崎県)の約66kmを結ぶ区間が9月23日に開業の予定。営業上は「西九州新幹線」と案内される。
整備新幹線に並行する在来線は原則、JRから経営分離される。西九州新幹線の場合、長崎本線・肥前山口~諫早間の60.8kmが経営分離の対象とされた。地図を見ると、この区間は西九州新幹線のルートから離れていて「並行」しているとは言い難い。しかも、経営分離の対象とされながらJR九州が引き続き列車を運行する。
連休中の3月20日、「並行しない」かつ「経営分離しない」肥前山口~諫早間を往復してみた。
有明海が広がる車窓
新幹線の開業に先立ち新しい橋上駅舎が整備された諫早駅へ。1番線ホームに長崎行き下り特急「かもめ7号」が入線して発車し、続いて4番線ホームに入ってきた博多行き上り特急「かもめ12号」に乗り込んだ。車両は白い車体の885系。自由席の4号車は10人ほどしか乗っていない。
9時39分に発車。窓の外は民家が密集していたが、しばらくして遠くに有明海が見えるようになり、徐々に列車が走る線路まで近づいてきた。
再び海が離れて山間部に入り、県境を越えて長崎県から佐賀県へ。10時少し前に肥前大浦駅を通過し、ホームの反対側にはグレーの車体が印象的な787系が停車していた。下り長崎行き特急「かもめ9号」だろう。肥前山口~諫早間は単線のため、駅や信号場での列車交換が多い。
この駅を過ぎると再び有明海が見えるようになる。雲が多めで海の色もいまいちだが、それでも目の前に広がる海面を見ていると気分が晴れやかになったくる。
海岸から離れると、今度は広大な田園が広がるように。いつしか民家の密集地帯に入って10時15分、鹿島市の中心駅である肥前鹿島駅で下車した。島式ホーム1面2線で、ここでも長崎行き下り特急「かもめ11号」と交換する。
田園地帯を走る2両の普通列車
駅前を出入りする自動車や人通りは少なく、やや寂しい気配。ただ駅舎内には自動券売機だけでなく有人の切符売場、売店の入った待合室もあり、それなりに人の気配もある。切符売場は指定券類を購入できるみどりの窓口だが、営業時間は7時30分~12時と13~15時に限定されていた。
ホームに戻ると817系の2両編成が停車していた。鳥栖駅からやってきた肥前鹿島終点の普通列車で、折り返し鳥栖行きの普通列車になる。10時43分に発車。この列車も車内は1両につき10人前後といったところ。
5分後の10時48分、肥前竜王駅に到着。ここで下り特急「かもめ13号」との行き違いがあり3分後の10時51分に発車するはずだが、その時間になっても「かもめ13号」はやってこない。しかし遅れを気にする間もなく1分後に「かもめ13号」が姿を現し、普通列車も何事もなかったかのように発車した。
田園地帯をひたすら走り、列車は1分ほど遅れたまま11時01分、肥前山口駅のホームに進入した。肥前山口駅は長崎本線と佐世保線が分岐する要衝。北側から単式1面、島式2面のホームが並んで構内は広く、そこに大きな橋上駅舎が載っかっている。しかし改札口は狭く、そこを通り抜ける人も少なかった。
「最長片道切符」の終点駅
北口のほうに出てみると、駅前広場も人の気配が少なく寂しさの度を増している。駅舎の下には「江北町は70周年」と記された横断幕の姿が見えた。肥前山口駅は西九州新幹線の開業と同時に、町名と同じ「江北駅」に改称される予定だ。
横断幕の脇には「JR最長片道切符の旅 ゴール 肥前山口駅」と記された記念碑もあった。この場合の最長片道切符とは、JR線で最も長い距離を通れる片道乗車券のこと。そのルートは路線の改廃に伴って変化し続けているが、終点駅は1989年以降、ずっと肥前山口駅で変わっていない。記念碑は2004年、最長片道切符を利用した旅行番組をNHKが放送した際に建立されたものだ。
実は西九州新幹線の開業で、最長片道切符の終点駅が変わる可能性が高くなっている。西九州新幹線を経路に組み込んで新大村駅を終点にすると、いまより距離が長くなるためだ。
西九州新幹線に関係する運賃体系の詳細をJR九州はまだ発表していない(2022年4月10日時点)ため、最長片道切符の終点駅が本当に変わるかどうかはまだ分からない。もし終点駅が新大村駅に変わったら、この記念碑はどうなるのか気になる。もっとも、変わったからといって撤去しなければならない性質のものではないと思うが。
再び駅のホームに戻ると、普通列車と特急列車が続々と入ってきては発車するを繰り返しており、見ていて飽きない。その割にはホームの客はやや少なめで、列車の頻度との差に違和感を覚えずにはいられなかった。
リニューアルされた肥前浜駅
下りの普通列車に乗って諫早に戻る。肥前浜行きの普通列車に乗り込んで11時48分に発車。車内はハイキング風の客が多い。車両は再び817系の2両編成だが座席は転換クロスシート。席に座れば大きな窓が横にきて外の景色が見やすい。川辺に群がる菜の花の黄色を見て、心を和ませる。
先ほど下車した肥前鹿島駅を過ぎて、終点の肥前浜駅には12時07分に到着。西側から駅舎、単式ホーム1面(1番線)、島式ホーム1面(2・3番線)が並んでいて、島式ホームと単式ホームは屋根の無い跨線橋でつながっている。もっとも、普通列車の大半は駅舎と直結している1番線ホームに停車しており、2・3番線を通る列車の多くは同駅を通過する特急列車だ。
駅の外に出ると、先に出ていたハイキング客が駅前に置かれたレンタサイクルの列に群がっているのが見えた。駅舎は1930年の開業時に設置された木造平屋の古いものだが、2018年にリニューアルされ、本来は業務室があった部分に観光案内所が整備されている。駅舎の北側には日本酒バー「HAMA BAR」が佐賀県の地域振興策の一環として整備され、2021年1月にオープンした。
「HAMA BAR」は駅舎をそのまま延ばしたような形状の建物で、駅舎とのあいだにはガラス屋根を設置。駅から雨にぬれることなく移動できる。なるほど、こういうデザインもありだなと、ちょっと感心した。
駅前広場には徒歩6分ほどのところにある「肥前浜宿」の案内図が設置されていた。肥前浜宿は江戸時代から昭和時代にかけ、酒・しょうゆなどの醸造業を中心に発展した地域。いまも白壁の建物や大きな酒蔵、武家屋敷などが立ち並んでいる古い街並みで、国が2006年に伝統的建造物群の保存地区として指定した。肥前浜駅のリニューアルや「HAMA BAR」の整備も、この観光資源を生かすためのものといえる。
県境の駅で10分の長時間停車
酒は飲めないので「HAMA BAR」でアイスコーヒーを注文し、しばらく無為の時を過ごす。13時29分、長崎行きの普通列車に乗車。やってきたのは再び2両編成の817系だが、車内の座席はロングシート。立客こそいないが座席はほぼすべて埋まるという「盛況」で、地元客だけでなく観光客とおぼしき人も多い。単に連休中というだけでなく「青春18きっぷ」が利用できる期間ということもあるのだろうか。
進行方向左側に有明海を見ながら肥前七浦、肥前飯田、多良の各駅に停車。いずれの駅でも若干の乗り降りがあり、車内は徐々に閑散としてくる。13時51分、県境の手前に設けられた肥前大浦駅に着いた。
ここで上りの特急「かもめ22号」と鳥栖行き普通列車との交換を行うため、11分の停車。私を含む数人がホームに出て気分転換を図っていたが、車内に残ったままの人が圧倒的に多い。「とっとと発車して、時間の短縮を図ってもらいたい」と思っているのかもしれない。
列車は14時02分に発車。県境を越えて最初の駅になる小長井駅には14時09分に着いた。線路の脇には有明海の水面が隣接しており、遠くには島原半島の雲仙岳も見える。景色の良さにひかれ、つい列車を降りてしまった。
次の列車「4時間後」並行バスで移動
島式ホームの端にある屋根無しの跨線橋を渡って駅の外に出ると、目の前にあるのは国道207号。佐賀市と長崎市を結ぶ幹線道路だ。高速道路(長崎自動車道)が整備されてかなり立つが、交通量は思っていた以上に多い。道路沿いには民家や商店が密集していた。
この駅を通過する特急列車を撮影したり、海を眺めたりして過ごしたが、30分ほどすると時間を持てあますようになった。次の下り普通列車は18時13分で、下車した列車の4時間後だ。近くにあったバス停の時刻表を確認すると、こちらは本数が思っていた以上に多く、14時58分に諫早方面に向かうバスがある。普通列車の少なさを路線バスがカバーしている格好だ。
長崎県営バスの諫早営業所行きバスは少し遅れて15時頃に到着。車内に入ると若い女性一人と高齢男性二人の3人が乗っていた。ときどき停車して客が入れ替わるものの、客数に大きな変化はない。道路が混雑して少し速度が落ちた区間もあったが比較的順調に走り、諫早駅前のバスターミナルには15時36分頃に到着した。
もし小長井駅を18時13分に発車する普通列車に乗っていれば、諫早駅までは35分。途中駅での上り列車との行き違いで時間がかかるため、バスと大差ない。もっとも、運賃は普通列車が380円なのに対し、バスは1.6倍の620円かかった。
きっかけは原子力船「むつ」
西九州新幹線の並行在来線は、複雑な経緯をたどっている。
佐賀と長崎を結ぶ鉄道は、1898年までに大村湾沿いの佐世保線・大村線ルートが開業。続いて有明沿いの長崎本線ルートが1934年までに開業し、これ以降は距離が短い長崎本線ルートが主軸となった。博多~長崎間を結ぶ特急「かもめ」も長崎本線ルートを走っている。
戦後、全国津々浦々を新幹線で結ぶことが構想され、九州新幹線・長崎ルートもその一環で計画された。国鉄は1985年、九州新幹線・長崎ルートの調査対象ルートを公表。新鳥栖~佐賀~武雄温泉~早岐~新大村~諫早~長崎のルートで建設するものとした。佐世保線・大村線に並行するルートで長崎本線ルートより距離は長かった。
これに先立つ1974年、原子力船「むつ」の放射線漏れ事故が発生。「むつ」の母港・大湊港がある青森県むつ市の漁業関係者などが「むつ」の帰港を拒否した。一方で長崎県佐世保市が「むつ」の受け入れを表明。長崎県と自民党はいわゆる「むつ念書」を取り交わし、九州新幹線・長崎ルートの優先的な着工が盛り込まれた。大回りの佐世保線・大村線ルートを採用したのも、「むつ」を受け入れる佐世保市内の早岐駅を経由するためだったといえる。
1987年、国鉄分割民営化にあわせて長崎ルートを含む整備新幹線の着工凍結が解除される。しかしJR九州は同年、従来の調査ルートで建設しても収支改善効果が見られないとし、長崎ルートの整備に否定的な見解を示した。こうして関係者のあいだで整備方式が改めて模索され、1992年には暫定的な計画の大枠が固まった。
この計画では武雄温泉~長崎間のみ建設するものとし、建設方式はスーパー特急方式を採用。これは標準的な新幹線の規格=フル規格の路盤を建設するが、線路は在来線と同じ軌間で敷設し、博多~長崎間を直通する特急列車を高速で走らせるというものだった。
また、建設区間のうち武雄温泉~新大村間は早岐を経由せず、距離を短くできる嬉野温泉経由の短絡ルートに変え、建設費の節減と所要時間の短縮を図ることになった。佐世保市はこの計画に反発するが、最終的には佐世保線の輸送改善などを条件に了承している。
なお、スーパー特急方式での整備は、のちにフル規格での整備と軌間可変電車(フリーゲージトレイン=FGT)による直通運転に変更された。しかし、FGTによる直通運転が事実上断念されたことから、西九州新幹線の開業時は武雄温泉駅での対面乗換(新幹線・在来線を同じホームで乗り換えできるようにすること)で対応する。
並行在来線「営業」分離せず
しかし、この計画に反発したのは佐世保市だけではなかった。長崎本線・肥前山口~諫早間の沿線自治体が、同区間の経営分離に強く反発した。
実際に新幹線に並行している在来線は佐世保線・大村線だが、新幹線が開業すれば博多~長崎の移動客は新幹線経由にシフトするため、長崎本線・肥前山口~諫早間の利用者は大幅に減ることが見込まれる。そのため、JR九州は肥前山口~諫早間の経営分離を条件に新幹線の建設に同意した。
ただ、肥前山口~諫早間は新幹線のルートから離れていて、この区間に新幹線の駅は設けられない。そのうえで在来線の経営分離は受け入れなければならないのでは、沿線自治体が反発するのも当然だった。とくに佐賀県側の江北町や鹿島市は強硬な態度を崩さなかった。
JR九州・佐賀県・長崎県の3者は2007年、上下分離方式で肥前山口~諫早間の鉄道を維持することで合意。佐賀県と長崎県が施設を保有し、JR九州が両県から施設を借り入れて引き続き列車を運行することになった。施設はJRから分離されるが営業上は分離されず、沿線自治体から経営分離の同意を得る必要がない、という理屈だ。
これに加えて鹿島市が経営分離反対を取り下げたこともあり、西九州新幹線は2008年に着工。肥前山口~諫早間の上下分離に向けた準備も進められた。新幹線の工事が終盤を迎えていた2021年4月、佐賀県と長崎県は施設を保有、管理する一般社団法人「佐賀・長崎鉄道管理センター」を設立。今年2022年1月にJR九州と管理センターが上下分離のための鉄道事業許可を受けた。
一部は電化設備を撤去
現在の計画では西九州新幹線の開業後、長崎本線の肥前山口(江北)~諫早間は引き続きJR九州が列車を運行する。駅数(起終点を含む16駅)も変わらない。ただし、肥前浜~諫早間は運営コスト削減のため、電化設備を撤去して非電化区間になる。
上下分離方式の導入で合意された当初は全区間を非電化にする考えだった。その後、電車の特急列車を博多~肥前鹿島間のみ維持することが決まり、肥前山口~肥前鹿島間は電化を維持することに。さらに2021年、肥前鹿島駅は線路の数が少なく列車を待避したり折り返したりするのが難しいことから、一つ隣の駅で線路も3線と多い肥前浜駅を電車の折り返し地点とし、電化維持区間を肥前山口~肥前浜間に拡大することが決まった。
詳細なダイヤはまだ発表されてないが、博多~長崎間を直通する現在の在来線特急「かもめ」は、西九州新幹線に移る形で廃止される。一方で西九州新幹線の開業後3年間は、博多~肥前鹿島間を走る特急列車が上下計14本設定され、それ以降は10本に減る計画。肥前鹿島駅に停車する「かもめ」は現在47本で、同駅の特急停車本数は大幅に減る。
普通列車は鳥栖方面から肥前浜駅まで直通する列車(電車)や肥前山口~肥前浜間を走る列車(電車)、肥前山口・肥前浜~諫早間を走る列車(気動車)が運行されるとみられる。現状の運行本数は当面維持されるとみられるが、特急列車が減って途中駅での列車交換も減ることから、所要時間の短縮が考えられる。
期間は「23年」利用者の減少抑えられるか
肥前山口~諫早間の輸送密度はJR九州発足時の1987年度が9108人だったが、2019年度は7780人。全期間コロナ禍の2020年度は3317人だった。この数字は特急「かもめ」の利用者を含んでいるため、従来より大幅に減少することは確実。利便性の向上による利用者数の維持が課題だ。
とくに普通列車の場合、非電化区間になる肥前浜~諫早間は列車の間隔が4~5時間空く時間帯もあり、利便性を向上するなら増発が不可欠だ。とはいえ列車の増発は車両数や運転士の確保、そしてそれに見合うだけの収入の増加が必要で、そう簡単にできることではない。
JR四国と徳島バスは4月1日から、JR牟岐線と高速バス室戸・生見・阿南大阪線の阿南~浅川間で共同経営計画を実施。牟岐線の切符で並行する高速バスを利用可能にするなどして、利便性の向上を図っている。長崎県営バスも長崎バスとの共同経営計画を4月1日から実施しており、重複する路線の経営の一元化などを図っている。
長崎本線でも次善の策として共同経営計画を実施してもいいだろう。たとえば、並行する路線バスとダイヤを調整し、列車が少ない時間帯を中心にバスを走らせて補完。JRの切符で並行するバスも利用できるようにすれば、実質的に増発できる。
観光客の誘致も鍵になる。有明海や肥前浜宿など沿線の観光資源の活用が考えられる。また、JR九州は新しい観光列車「ふたつ星4047」を西九州新幹線の開業にあわせて運行する計画だ。
ただ、沿線は過疎化や少子高齢化による人口減少が続いており、さまざまな施策を講じても利用者数を維持するのは難しい状況といえる。国勢調査によると、鹿島市の人口(現在の市域)は1955年の約3万9000人をピークにほぼ一環して減少しており、2015年は3万人を割り込んだ。国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計によると、2040年の人口は2万2314人になるという。
西九州新幹線の開業後23年間はJR九州が列車を運行することで関係者が合意している。この合意期間まで利用者の減少をどこまで抑えられるかが、持続的な維持のポイントになりそうだ。
※追記(2022年4月19日8時18分):写真の説明書きに一部誤記がありました。お詫びして修正いたします。
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