文化審議会「高輪築堤」一部の史跡指定を答申 「明治日本の文明開化を象徴」



高輪ゲートウェイ駅周辺の品川開発プロジェクト計画エリア内で出土した石積みの高輪築堤と橋台。【画像:JR東日本】

文部科学大臣・文化庁長官の諮問機関である文化審議会は8月23日、「高輪築堤」の一部を史跡として指定するよう萩生田光一文部科学大臣に答申した。文科相は近く答申通り史跡に指定するとみられる。

高輪築堤は1872年、日本初の本格的な鉄道として開業した新橋(現在の汐留地区)~横浜(現在の桜木町)間の官設鉄道(国鉄線に相当)の遺構。建設当時の高輪海岸沿いの海上を堤状に埋め立てて線路を敷設した。のちの埋め立てや線路増設、車両基地整備により埋まったが、高輪ゲートウェイ駅周辺の開発事業に伴い出土した。

この答申では、高輪築堤を構成する遺構群のうち、第7橋りょうとその南北に接続する築堤80m分と、その北側に位置する築堤40m分について「明治日本の文明開化を象徴しており、交通の近代化や、それに用いられた土木技術等の歴史を知る上で重要」とし、史跡として追加指定することと、名称を「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」に改めることを盛り込んだ。

JR東日本は一部の現地保存と移築保存を計画しているが、日本考古学協会はJR東日本の計画に反対し、現地での全面保存を求めている。

文化審議会文化財分科会の島谷弘幸会長も今年2021年3月、文化庁長官に対し「(高輪築堤は)明治日本の近代化に関する遺跡として、産業史、鉄道史、土木史上、非常に重要なものであり、現地に保存すべきものであるとの判断に至る蓋然性が高いものと思料する」と意見表明した。

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