戦前の「お座敷列車」どんな姿だったのか 写真が語る車内の様子



車内を畳敷きにした「お座敷列車」。近年は減少傾向にあるものの、いまも485系電車の改造車「華」など車内が畳敷きになっている車両があり、各地で見ることができる。

車内が畳敷きになっている485系改造のお座敷車「華」。【撮影:草町義和】

このお座敷列車、初めて運転されたのはいつなのか。明治期に登場した病客車(病人を輸送するための客車)をお座敷列車の起源とする見方もあるようだが、用途を考えると直接の起源とはいえないだろう。

国鉄の旅客列車として初めてお座敷列車が走ったのは、戦前の1931年(昭和6年)とみられる。『日本国有鉄道百年写真史』(1972年10月)には、「金沢運輸事務所のお座敷列車(昭和6年)」との説明書きを添えた車内の写真が掲載されており、「昭和6年8月18日 金沢駅主催の北海道・樺太・十和田湖巡遊団体列車に72人乗りボギー車内部を畳敷きのお座敷風に改造したものが1両連結された」と記されている。

1931年に登場したとみられるお座敷客車の車内。(『日本国有鉄道百年写真史』より引用)

この写真を見る限り、明治末期から大正期にかけ製造された二重屋根の国鉄客車を改造したように思える。畳の位置は高く、改造前に設置されていた座席の座面にあわせて畳を設置したのかもしれない。

手前と奥で人が台のようなものを挟んで座っているが、これは蓄音機だろうか。天井と窓には何かぶら下がっているのが見える。『日本国有鉄道百年写真史』には「窓・天井には岐阜提灯が飾られ 蓄音機のほか 碁・将棋なども車内に用意された」と記されている。

団体列車の複数連結された車両のうちの1両とみられるから、いまでいうグリーン車のような扱いだったのか。あるいは移動中の休憩スペースとして使われたのかもしれない。

この頃、国鉄は金融恐慌(1927年)などの影響で収入が減っており、さまざまな誘客策が実施されている。1929年、東京~下関間の特急列車に「富士」「桜」という列車名を公募により設定。国鉄の列車に列車名が付けられたのは、これが初めてだった。翌1930年には、東京~神戸間を従来の特急より2時間以上速く結んだ超特急「燕」が運転を開始した。お座敷列車の運転も、こうした誘客策の一環だったのだろう。

このお座敷車がその後どうなったのかは分からない。国鉄が本格的にお座敷列車を導入するようになったのは戦後のことだ。『日本国有鉄道百年史』(1969~1974年)によると1960年度、「和式客車」のスハ88形とオハフ80形が改造により登場。車内は当然畳敷きで、ほかにも障子を用いたり、天井を数寄屋風の合掌天井にしたりして和風調にまとめた。その後も団体需要の増加で和式客車の増備が続き、1972年度末までに32両が製作されたという。

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