国鉄常務理事やJR東海の初代社長を務めた同社参与の須田寛氏が12月13日、老衰のため死去した。93歳だった。JR東海は後日「お別れの会」を開く。
須田氏は1931年、京都市で生まれる。1954年に京都大学法学部を卒業し、国鉄に入社した。名古屋鉄道管理局長や旅客局長、常務理事を歴任し、1987年の国鉄分割民営化に伴いJR東海の社長に就任した。
1995年、いわゆる「国鉄改革3人組」の一人の葛西敬之(2022年死去)に社長職を譲り会長に。2004年の会長退任後も相談役や顧問としてJR東海に残り、2021年から参与を務めていた。また、鉄道趣味団体「鉄道友の会」の会長を2004年から2022年まで務めるなど、鉄道趣味の分野でも活動していた。
須田氏が旅客局長だったころ(1981~1984年)の国鉄は、国鉄の普通列車が全線乗り放題の企画切符「青春18のびのびきっぷ」(現在の「青春18きっぷ」)を発売。特急列車の回送列車を活用した着席保証制の通勤列車「ホームライナー」の運行を開始するなど、当時としてはユニークな施策を展開している。また、鉄道専門誌『鉄道ジャーナル』の読者投稿欄に寄せられた国鉄への意見や批判に対し、国鉄は旅客局名義で回答していた。
国の第2次臨時行政調査会が1982年に示した国鉄分割民営化の方針に対しては当初、須田氏は少なくとも分割には消極的だったとみられる。国鉄は1985年1月、幹線の全国1社体制維持と地方交通線の別会社化などを柱とする非分割・民営の独自案「経営改革のための基本方策」を策定。当時常務理事だった須田氏が基本方策の立案に関与していた。
基本方策は分割民営化の推進・反対両派から批判され、当時の仁杉巌総裁は同年6月に辞任。もと運輸事務次官の杉浦喬也(2008年死去)が総裁に就任し、国鉄自身も分割民営化の推進にかじを切っている。
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