JR線の普通列車が乗り放題の「青春18きっぷ」が発売されてから40年以上が過ぎた。私が初めて「青春18きっぷ」を使ったのは、いまから39年前の国鉄時代、1984年の夏。夜行列車で早朝に東京入りし、そこから日中の普通列車を乗り継いで青森に向かい、青函連絡船の夜行便に乗り継いで北海道に渡った。私が北海道を訪ねたのは、これが初めてだった。
その後も「青春18きっぷ」は何度となく使ってきたが、近年は比較的短い距離での利用が増え、長距離移動で使うことはほとんどなくなった。「初北海道」からもうすぐ40年になるのを機に、久しぶりに「青春18きっぷ」で北海道を訪ねてみようと思い立った。
1本目:上野5時11分→水戸6時58分
列車番号:321M
距離:117.5km
時間:1時間47分
まだ夜が明けてない2023年9月2日の早朝4時ごろ、前日から「宿泊」していたネットカフェを出て上野駅まで歩く。私はそれなりに年を取っていて上野発の青森行き夜行列車や青函連絡船を知っている世代だから、東京から北へ向かうなら上野駅からスタートしたい。青森までどのルートで行くかも迷ったが、39年前は常磐線経由で普通列車を乗り継いだから、今回も常磐線経由で行くことにした。
中央改札の脇にある自動券売機でグリーン券を購入し、猪熊弦一郎の壁画を見ながら有人改札口で「青春18きっぷ」に「9.-2」の日付印を押してもらう。階段を上がって9番線ホームへ。空が徐々に青みを帯びてきた4時50分ごろ、列車番号321M、勝田行き普通列車が入ってきた。
車両は10両編成のE531系電車。国鉄時代の39年前に乗った415系電車ではない。しかし、目の前に姿を現したE531系は415系の国鉄時代のカラーリングを復元した特別編成で、あずき色とクリーム色で装飾されている。もちろん偶然だが、39年前を振り返りながらの旅の幸先はよさそうだ。
中間に連結されている2階建てグリーン車の2階席に腰を落ち着ける。39年前の「青春18きっぷ」は完全に普通列車の普通車自由席専用だったが、いまは普通列車用の自由席グリーン券を追加で購入すれば普通列車のグリーン車自由席を利用できる。「青春18きっぷ」自体も発売開始から40年以上が過ぎ、利用ルールがいろいろ変わっている。
空がかなり明るくなった5時11分、321Mは上野駅を定刻に発車。北海道までの長い旅が始まった。今朝まであまり眠れなかったし、水戸あたりまでの車窓は過去に何度となく見ている。グリーンシートに身を包んでしっかり睡眠を取ろうと思ったが、見通しのいい2階席からの景色はやはり気になってしまう。列車は東京都から千葉県、そして茨城県へと移動して取手駅を過ぎると田畑が目立つようになり、旅をしているんだなという感覚に包まれた。
2本目:水戸7時19分→いわき8時48分
列車番号:531M
距離:94.1km
時間:1時間29分
321Mは勝田行きだが6時58分、一つ前の水戸駅で下車。39年前に乗った普通列車は上野駅から平駅(現在のいわき駅)まで直通していたが、現在はいわき駅まで直通する普通列車はなく、どこかで乗り換える必要がある。
5分接続のいわき行き529Mに乗るつもりだったが、ホームに入線していた529MはオールロングシートのE501系電車だった。ロングシートは車窓が見にくいし、どうしようかと悩んでいるうちに発車。続く531MはE531系の5両編成。ボックスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシートで、ボックスシートに陣取った。
7時19分、水戸駅を発車。車内はボックスシートを一人で占有できる程度にすいている。澄み切った青空が広がり、福島県の県境が近づいたころには太平洋の姿もちらほらと見えるようになった。
3本目:いわき9時22分→原ノ町10時44分
列車番号:671M
距離:77.5km
所要時間:1時間22分
531Mを終点のいわき駅で下車。駅の外に出て周辺を少し散策してから駅に戻ると、原ノ町行き671Mが531Mと同じホームで発車を待っていた。
車両も531Mと同じE531系の5両編成だが、よく見ると編成番号も同じだ。実際は水戸から列車番号を変えつつ原ノ町まで直通するが、いわき駅での停車時間が長いせいか時刻表上は別の列車として案内しているようだ。ボックスシートはすでにほかの客で埋まっており、ロングシートに鎮座するほかなかった。
ちなみに39年前は仙台駅まで直通する普通列車に乗り継いだが、車両はグリーン車付きの急行型電車の編成で、グリーン車は普通車自由席扱いで開放していた。めったに乗ることはなかったグリーンシートに体を委ね、何となく得した気分になったのを思い出す。
いわき駅から二つ目の四ツ倉駅を過ぎると線路は複線から単線に。竜田駅では上り水戸行き普通列車670Mと交換するため3分停車する。それほど長い時間ではないが、少しホームに出て写真を撮る。
ここから原ノ町駅までは2020年3月の常磐線全線再開後、初めての乗車になる。海側は雑草の生い茂る空き地が目立ち、内陸寄りは新築の建物が多い。2011年の東日本大震災、そして福島第一原発事故がつくり出した世界の空気を感じる。
4本目:原ノ町10時51分→仙台12時18分
列車番号:241M
距離:74.4km
所要時間:1時間27分
671Mは定刻通り原ノ町駅に到着。隣には仙台行き普通列車241Mが待ち構えていた。ここでも39年前と異なり運行区間の分割による乗り換えだ。4両編成だが先頭2両はオールロングシートの701系、後方2両はセミクロスシートのE721系電車という混成。出発直前の段階で座席は4両ともほぼ埋まった。
鹿島駅では4分停車して品川行き上り特急「ひたち14号」と交換。二つ先の相馬駅から浜吉田駅までは再び全線再開後初の乗車だが、線路は復旧に際して内陸寄りのルートに変わっている。上り普通列車との交換で4分停車した新地駅の施設は2016年の再開にあわせて整備され、ホームや跨線橋はまだ新しさを感じる。
新地駅を出て福島県から宮城県へ。少し汚れてはいるが、白みが目立つコンクリートの新しい高架橋に入り、窓外には色づいた稲穂で覆われた田んぼが広がった。しかし、ルートを変更した区間を外れると線路は雑草が増え、東北本線に合流する岩沼駅の一つ前の逢隈駅の線路は、バラストや枕木が見えないほど緑に塗り込められていた。
5本目:仙台12時45分→小牛田13時30分
列車番号:2537M
距離:43.2km
所要時間:45分
仙台駅で改札の外に出て、売店で昼食の駅弁「牛たん味くらべ」(1250円)を購入。かなり高いが、たまにはいいだろうと手が出てしまった。構内に戻って東北本線・小牛田行き2537Mに乗り込む。車両はE721系の2両編成を2本つないだ4両編成。立っている人はいないが座席はほぼ埋まった。
ボックスシートに収まって駅弁を食べ始めたころに発車。E721系のボックスシートには飲み物を置く小さなテーブルがあり、食事するときの使い勝手はいい。
駅に停車するたびに客は徐々に減っていく。13時を過ぎて塩釜駅を発車し、しばらくすると松島湾が見えた。松島駅で大勢の客が下車し、車内は1両につき数人程度に。田んぼが広がるだけの景色が続いた。
仙台駅から45分、終点の小牛田駅に到着。車両を留置するための線路が多く、新型のDD200形電気式ディーゼル機関車が牽引する貨物列車や、キハ40系気動車を改造した観光列車「びゅうコースター風っこ」の姿が見えた。
6本目:小牛田13時47分→一ノ関14時33分
列車番号:551M
距離:50.1km
所要時間:46分
小牛田駅では17分で一ノ関行き551Mに接続。車両はオールロングシートの701系2両編成で、またしても立ち客はいないが座席がほぼ埋まるという状況だ。窓外は色づいた稲穂で覆われた田んぼが続くだけで変化に乏しく、ついうとうとしてしまう。
39年前は仙台→青森を直通する普通列車に乗り、車両は電気機関車が牽引するボックスシート主体の50系客車だった。今回は車窓が見にくいロングシートの比率が高いうえに運行区間の分割で乗り換えも多く、いろいろ面倒に感じる。
ただ、39年前の記憶と比べてみると、疲れはそれほど感じない。50系には冷房が搭載されていなかったこともあるが、頻繁な乗り継ぎが結果的に気分転換になり、疲労感を抑えている面もあるのだろうか。
7本目:一ノ関14時42分→金ケ崎15時11分
列車番号:1541M
距離:32.6km
所要時間:29分
551Mは宮城県から岩手県に移り14時33分、終点の一ノ関に到着。9分接続で盛岡行き普通列車1541Mに乗り換える。551Mと同じ701系の2両編成だが、551Mは車体の帯が緑色だったのに対し1541Mは紫色。同じJR東日本の車両でも東北本部管理の701系から盛岡支社管理の701系に変わったのを感じさせる。こうした地域ごとに車両のデザインを変えるということは、国鉄時代の39年前はほとんどなかった。
窓の外は相変わらず山と田んぼの景色が続いているが、空模様がやや怪しくなってきた。北上駅まで乗るつもりだったが、この駅では待ち時間が1時間半で次の普通列車でも間に合うから、ちょっと気分転換にと金ケ崎駅で下車した。
8本目:金ケ崎16時13分→北上16時22分
列車番号:1543M
距離:9.8km
所要時間:9分
金ケ崎駅は駅舎の構造としては橋上式だが、東側は和風の大柄な建築物になっている。商工会や観光案内所などが入居しているほか、2階に出改札口と切符売場、待合室で構成される駅施設が収まっていた。後日調べてみると、近くに重要伝統的建造物群保存地区の城内諏訪小路があることにちなんでデザインした建物だそうで、前もって知っていれば訪ねたのにと思う。
下車客が駅の外へ散っていくと、人の気配がまったく感じられない状態に。下車時には開いていた出札口もシャッターが閉まり、駅員もいなくなってしまった。外に出ても民家の群れはあるものの人の姿はなく、まるでゴーストタウンのようだ。駅前道路を歩いても商店や喫茶店の類いはない。幹線道路に当たると自動車が激しく行き交っており、地方交通の主体が自動車に移ったことを痛感する。
金ケ崎駅に戻って16時13分発の盛岡行き1543Mに乗車。再び紫帯の701系2両編成だが、車内は立ち客が出るほどに混んでいた。
9本目:北上16時48分→横手18時03分
列車番号:733D
距離:61.1km
所要時間:1時間15分
16時22分、定刻通り北上駅に到着。39年前と同じルートで行くなら、このまま盛岡駅まで乗って青森方面の普通列車に乗り継げばいい。しかし、盛岡以北は整備新幹線の並行在来線として第三セクターのIGRいわて銀河鉄道(岩手県寄り)と青い森鉄道(青森県寄り)に経営分離されており、現在は「青春18きっぷ」で乗ることができない。
厳密には青い森鉄道線の八戸~青森は「青春18きっぷ」で通過利用できるという特例はあるが、それでも盛岡~八戸は別に乗車券(3110円)を購入する必要がある。少し迷ったが3000円超はちょっときつい。北上駅から北上線と奥羽本線をたどり、秋田経由でJR線の普通列車を乗り継ぐことにした。
空が灰色の度を増して雨が降りそうな気配になったころ、北上線の横手行き733Dが待つホームへ。今回の旅では初めての非電化路線で、車両はキハ100系気動車の単行だ。16時48分の発車時点では満席で立ち客も多く、平野部から人口の少ない峡谷部に移っても、それはあまり変わらなかった。
窓外にはいつしか錦秋湖の姿が見えるようになったが、水量が少ないうえに灰色の空の下では見栄えがしなかった。
10本目:横手18時07分→秋田19時12分
列車番号:451M
距離:70.4km
所要時間:1時間5分
ゆだ高原駅の先で岩手県から秋田県に移り、733Dは18時03分、横手駅に到着。4分という慌ただしい接続で奥羽本線の秋田行き451Mに乗り込む。
再びオールロングシートの701系2両編成だが秋田支社が管理する車両で、帯の色は紫と赤みを帯びた紫の2色に変わった。車内の客は座席の6~7割ほどといったところで余裕がある。窓外はいつしか黒みが増し、景色を楽しむことはできなかった。
11本目:秋田19時23分→青森22時18分
列車番号:3627M(快速)
距離:185.8km
所要時間:2時間55分
秋田駅では11分の接続で青森行き快速列車3627Mに乗り換え。JRの快速列車は営業上は普通列車の扱いだから「青春18きっぷ」でも乗れる。これは39年前と変わっていない。今回乗る列車のなかでは乗車距離が最も長く乗車時間も最長だが、夜間の列車だから景色は楽しめない。
夕食の駅弁「秋田比内地鶏こだわり鶏めし」(1200円)を買ってバタバタとホームへ向かうと701系の3両編成。車内は座席が2~3割埋まる程度だ。秋田駅から3駅目の上飯島駅に到着するころに駅弁のふたを開けて夕食タイム。すいているとはいえ通勤通学列車然としたロングシートだと、何となく食べにくい。
しばらく各駅停車だったが、八郎潟駅からは一部の駅を通過する快速列車に。車内の客は駅に停車するごとに減っていき、秋田県から青森県に移ったころには1両につき数人程度に。22時18分、終点の青森駅に着いた。県庁がある地方都市の代表駅であるにもかかわらず駅前広場にはバスやタクシーの姿が見えず、人の気配もほとんどない。地方の夜は早いといってしまえばそれまでだが。
青森駅→青森フェリーターミナル
青森駅から暗闇に包まれた住宅街、そして自動車が行き交う幹線道路を西へひたすら歩き、青森港のフェリーターミナルを目指す。30分ほどしたころ、明かりに照らされたフェリーが停泊している姿が見えてきた。
39年前は青函トンネルが開通しておらず、国鉄青函連絡船の深夜便で青森駅から津軽海峡を渡り、北海道の函館駅に向かった。連絡船も普通列車の扱いだったから、「青春18きっぷ」でもそのまま乗れた。
1988年に青函トンネルが在来線として開業したときは快速「海峡」が青森~函館で運行されるようになり、2002年に「海峡」が廃止されたあとも青函トンネルを通る特急列車を「青春18きっぷ」だけで利用できる特例が設定された。ところが2016年に北海道新幹線・新青森~新函館北斗が開業すると特例が廃止され、いまは「青春18きっぷ」だけで本州と北海道を移動することはできない。
代わりに北海道新幹線・奥津軽いまべつ~木古内と道南いさりび鉄道線(旧・JR江差線、並行在来線として経営分離)・木古内~五稜郭を片道利用できるオプション券(2490円)が発売されるようになったが、夜に入ってからではオプション券で利用できる列車がなく青森で1泊する必要があり、さらに費用がかさんでしまう。
仕方がないのでフェリーの夜行便を使うことにしたが、青函連絡船と異なりフェリー乗り場は鉄道駅に直結しておらず、この時間ではバスもない。昼食と夕食で高めの駅弁を食べたこともあり、タクシーは使わず時間をかけて歩くしかなった。
紙の地図は持ってきておらず、道を聞こうにも地元民らしき人は見かけない。ただ、スマホの地図アプリを使えば簡単に道順が分かる。これは39年前には考えられなかった利便性の向上、といえるだろうか。
12本目:青森港2時00分→函館港5時50分
運航番号:1便(青函フェリー)
距離:113.0km
所要時間:3時間50分
本州の青森と北海道の函館を結ぶフェリーは現在、津軽海峡フェリーと青函フェリーの2社が運航している。事前に調べたところ、津軽海峡フェリーは豪華だが運賃は高めで、青函フェリーは質素だが安いとのこと。深夜の乗船で眠るだけならどちらでも同じだろうと、青函フェリーのターミナルビルに入った。
まだ23時30分発の第15便に間に合うが、函館に早く着きすぎるので翌9月3日2時00分発の第1便に乗ることに。日付変わって1時ごろ、ターミナルビルの切符売場で第1便の発売が始まる。片道2700円で「青春18きっぷ」のオプション券より少し高いが、青森での宿泊が不要になることを考えれば総合的には安くなるし、事前にネット予約していればもっと安くなったらしい。
1時30分を過ぎたころに乗船開始。船体には「はやぶさII」と記されている。半年近く前に就航したばかりの新造船で、船内もきれいだ。導入には相当な費用がかかったはずで、よく資金を調達できたものだ、青函航路はもうかっているのだなと思った。
しかし、あとで船内を巡ってみると「JRTT 鉄道・運輸機構」と記されたプレートが壁に貼り付けられていた。鉄道・運輸機構と事業者が船舶を共有する形にすることで、低利での資金調達が可能な船舶共有建造制度を活用して導入したようだ。
カーペット敷きの船室に入って寝床を確保。壁にはコンセントがあり、スマホのバッテリー残量がギリギリだったので助かった。列車の時刻や地図を確認したりとスマホは旅先でも便利なツールだが、一方でバッテリーの残量を常に意識しておく必要があるのは、39年前にはなかった不便といえるだろうか。
「はやぶさII」は定刻通り2時出航。甲板で出航の様子を眺めたあと、シャワー室で1日の汗を落として眠りにつく。5時過ぎに起きて甲板に出ると、前方には函館山が見え、東側には雲の切れ目から太陽が見えた。
青函フェリーの函館ターミナルに近づくと、少し離れた岸壁にJR北海道のキハ183系特急型気動車らしき車体が並んで鎮座しているのが見える。引退したキハ183系がアフリカ・シエラレオネの鉄道会社に売却されることになり、8月中には2回に分けて函館港から輸出されると聞いていたが、どうも遅れているらしい。
あとでニュースを確認したところ、ちょうどこの日に1回目の輸出が行われたようで、私が見たキハ183系は2回目の輸出待ちのようだった。
13本目:五稜郭6時48分→函館6時53分
列車番号:1151D
距離:3.4km
所要時間:5分
「はやぶさII」はほぼ定刻通り5時50分、函館のフェリーターミナルに接岸。自動車の持込客が優先され、実際に下船したのは6時を過ぎたころだった。ここも函館駅から離れており、スマホで地図を確認しながら一番近い鉄道駅である五稜郭駅に向かう。
30分弱で五稜郭駅に到着。改札口で「青春18きっぷ」に9月3日の日付印を押してもらう。このまま札幌方面に向かう普通列車に乗ってもよかったが、朝市を見ておきたいということもあって函館行き1151Dに乗車。この列車は道南いさりび鉄道線からJRの函館駅に乗り入れる普通列車だが、他社線からの乗り入れ列車でもJR線内なら「青春18きっぷ」で利用できる。
14本目:函館8時18分→長万部11時12分
列車番号:821D
距離:112.3km
所要時間:2時間54分
朝市の食堂で海鮮丼を食べて函館駅に戻り、長万部行き普通列車821Dに乗る。乗車距離・乗車時間ともに秋田→青森の3627Mに次ぐ長さだが、こちらは日中の乗車で景色が楽しめる。車両は国鉄時代に製造されたキハ40系気動車のキハ40形。北海道向けの酷寒地仕様で窓が小さい。
函館駅を8時18分に発車。ボックスシート主体のセミクロスシートで、立ち客こそいなかったが1ボックスに3~4人ほど、ロングシートはほぼ埋まるという盛況だ。もっとも、821Dは1両だけの単行。39年前はどの普通列車も比較的すいていたように思うが、5~6両以上の編成を組んでいた。それと比べれば利用者は明らかに減っている。
函館の市街地を離れ、いつしか畑が目立つようになる。キハ40形には冷房が搭載されてないが、窓を明ければ自然風が車内に入ってきて心地いい。39年のあいだに鉄道車両への冷房装置の搭載が進み、窓を開ける機会もほとんどなくなったが、北海道では冷房を搭載していない非冷房車がまだ残っている。
小沼や駒ヶ岳の姿が見えてしばらくすると、大沼駅に到着。上り普通列車と特急「北斗2号」との交換のため6分停車する。私以外にもホームに出て歩いたり、通過する「北斗2号」を撮影したりする821Dの客が数人いた。
「セバット」と呼ばれる大沼と小沼のつながっている場所を過ぎ、脇に駒ヶ岳の威容を見ながら列車は進んで9時40分、森駅に到着。ここでは列車交換などで20分近くの長時間停車になる。
単線の路線や特急列車も運行されている路線で普通列車に乗ると、列車交換や通過待ちの停車が長くなり、ホームに出て気分転換できるのがうれしい。ただ、新幹線の整備や複線化、あるいは普通列車の減便などで、長時間停車する駅は39年前に比べかなり減った。
森駅といえば駅弁「いかめし」で有名だが、駅弁のイベントなどで何度か買って食べたことがあるし、昼食にはまだ早い。しかし駅前に出て「いかめし」を売っている古びた商店の姿を見たとき、衝動的に店内に入って買ってしまった。
森駅を発車すると、進行方向右側には内浦湾の青がずっと続く。この景色を見ながら食事したいと思う。結局、「いかめし」の封を開けて早めの昼食となった。
函館本線の函館~長万部は北海道新幹線の札幌延伸に伴い並行在来線としてJR北海道から経営分離されることが決まっている。本州と北海道の幹線物流を担う貨物列車をどうするかという課題は残っているが、少なくとも新函館北斗~長万部は旅客営業を廃止してバス転換される可能性が高い。
北海道新幹線は内陸寄りをトンネルで貫くルートになるため、列車の窓から内浦湾を見ながら駅弁を食べることができるのも、あと10年くらいになるかもしれない。
長万部
長万部駅には11時12分着。ここから札幌へは室蘭本線・千歳線の「海線」経由と、函館本線をそのまま進んで倶知安や小樽を経由する「山線」の2ルートがある。しかし貨物列車や特急「北斗」は海線経由で多数運行されているものの普通列車は極端に少なく、次の海線は4時間以上先、山線でも2時間以上先だ。
この時間を使って駅の西側にある長万部温泉に行くことに。しかし長万部駅の駅舎は東側にあり、西側とは直接つながっていない。以前は駅の北寄りに自由通路の跨線橋があったが、北海道新幹線の工事に伴い昨年2022年に撤去されてしまった。
大回りして温泉街のエリアへと歩いて行くが、スマホで地図を見ると「鉄道村」なる施設が温泉街の近くにある。こちらが気になって先に訪ねると、町民センター内に「鉄道村」なるコーナーがあり、鉄道の施設や車両の部品類が多数展示されていた。
長万部近隣の瀬棚線(1987年廃止)で使われていたタブレット閉塞機や、瀬棚線に乗り入れていた列車の行先標などもある。なかなか興味使い施設だったが、私以外の見学者はゼロだった。
15本目:長万部13時29分→倶知安15時02分
列車番号:2943D
距離:81.0km
所要時間:1時間33分
鉄道村で時間を取られて温泉につかる時間がなくなってしまい、そのまま長万部駅に戻る。ホームに入って13時10分ごろ、山線の倶知安行き普通列車2943Dが入線。車両は2020年にデビューしたばかりのH100形気動車「DECMO」で、車内外は真新しくきれいだ。
長万部駅を発車した時点で座席はほぼ埋まるほどの混雑だが、単行1両で1ボックス2席のシートもあるから座席定員はかなり少なめ。実際の輸送人員はたかが知れている。そのうえ、前の列車の821Dで見かけた客がかなり多い。
おそらく私と同様、「青春18きっぷ」のような期間限定・普通列車限定の格安切符を使い、普通列車の乗り継ぎで函館から札幌方面を目指す客だろう。格安切符の利用期間が過ぎれば、この列車の利用者は大幅に減りそうだ。
H100形のシートが固めなせいか、いつしか尻が痛くなってきた。ただ、39年前はもっと早い段階、仙台→青森の普通列車に乗っていたときに尻が痛くなった記憶がある。自身の加齢も考慮すれば、国鉄~JR普通列車の乗り心地は相当改善されたのだろう。
しばらくは窓外に道路や畑、民家が見えていたが、山間部に入ると人工物がまったく見えないこともあった。これでは鉄道を維持するのは難しいだろう。山線の長万部~小樽も函館~長万部と同様、北海道新幹線の建設に伴いJRから分離されることが決まっているが、沿線自治体は2022年に第三セクター化などによる鉄道維持を断念し、バス転換の方向で合意している。
東に雲がかかった羊蹄山、西にニセコアンヌプリの山影が見え、北海道新幹線の工事現場が脇を並走するようになったころ、2943Dは終点の倶知安駅に到着。駅構内も新幹線工事のため従来の線路はほぼ撤去されており、ホームも仮設のものが1面だけ設置されていた。
16本目:倶知安15時17分→小樽16時27分
列車番号:1945D
距離:59.2km
所要時間:1時間10分
2943Dが倶知安駅に着いて4分ほど過ぎると、折り返し小樽行き1945Dになる普通列車が到着。同じH100形だが2両編成で、発車時は座席がほぼ埋まる程度だった。山間部を通って積丹半島の付け根にある余市駅には16時02分着。ホームでは大勢の人が1945Dを待ち構えており、列車が発車すると通路が立ち客で埋まるほどの混雑になった。どうも何かのイベントの帰り客らしいが、これだけ混雑するなら存続できないものかと思う。
沿線自治体がバス転換で合意した長万部~小樽のうち、余市~小樽は利用者が比較的多く、この区間の輸送密度はコロナ禍前の2018年度で2144人。ある程度の公的支援を受ければ鉄道を維持できるレベルではないだろうか。
ただ、国立社会保障・人口問題研究所が公表している将来推計人口(2018年推計)によると、余市町の人口は2015年が1万9607人だったのに対し、2030年は5000人減の1万4430人、2045年は1万人を割って9847人と推計されている。余市~小樽の鉄道利用者も大幅に減ることは想像に難くない。短絡的視点ならともかく、長期的視野に立てば人口規模に見合った交通モードへの転換は不可避だろう。
17本目:小樽17時18分→札幌18時03分
列車番号:241M
距離:33.8km
所要時間:45分
ここまで乗り継いだ列車・船は合計16本。相当な数の列車を乗り継ぐから途中で遅延が発生して予定通りに行かなくなる可能性が高いと思っていたが、ほぼ定刻通りだった。
1945Dは16時27分、終点の小樽駅に到着。次は5分接続の快速「エアポート172号」だが、ここまで来れば普通列車が頻発されているし、駅近くの喫茶店で少し過ごしてから17時18分発の岩見沢行き普通列車241Mに乗った。偶然にも原ノ町→仙台で乗った普通列車の列車番号と同じだった。
車両は731系電車で3両編成を2本つないだ6両編成だったはず。先頭車の客は5~6人ほどだった。座席はオールロングシートだが窓が大きくて眺望がいい。山側のロングシートに座って反対側の窓に顔を向けると、やや赤みを帯びた空の下に石狩湾の海面がきれいに広がっていた。
241Mは線路ごと覆う屋根に包まれた高架ホームの札幌駅に到着。時刻は18時03分、定刻だった。
上野駅から札幌駅まで36時間52分、およそ1200kmの行程だった。札幌にたどりついたころにはヘトヘトになっているだろうと思っていたが、意外と疲れは感じなかった。
「青春18きっぷ」は国鉄時代の1982年、「青春18のびのびきっぷ」として初めて発売。翌1983年から現在の名称に変わり、その後も値上げや切符の様式変更、さまざまな特例の追加が行われたが、春・夏・冬の指定された期間に限りJR線の普通列車の普通車自由席が乗り放題という基本は変わっていない。
JR旅客各社によると、コロナ禍前の「青春18きっぷ」の年間販売枚数は60万~70万枚台で推移していたという。何度か発売終了のうわさが流れたが、実際にはそのたびに発売されているし、販売枚数の推移を見る限りでも、当面のあいだは発売が継続されるだろう。
とはいえ、整備新幹線に並行するJR在来線の経営分離が進んだほか、今後は利用者の少ないJRローカル線の廃止も進みそうな気配。「青春18きっぷ」で利用できる路線は今後も減り続ける可能性が高い。そうなれば当然、販売枚数が減る可能性も高くなるだろう。
その一方、エリアごとに普通列車が乗り放題の企画切符も増えてきた。たとえば今回の上野→札幌の旅にしても、JR東日本やJR北海道の普通列車が連続する7日間に限り乗り放題の「北海道&東日本パス」を使うことができる。
「青春18きっぷ」は5日(回)分セットで1万2050円だから、1日(回)あたりでは2410円。これに対し「北海道&東日本パス」は1万1330円で、1日あたりでは約1619円と「青春18きっぷ」より800円ほど安い。しかも「北海道&東日本パス」はJR線だけでなく、今回の旅で利用を断念したIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道も使えるから、ルートの制約も緩和される。残りの日数分をどう使うかにもよるが、「青春18きっぷ」の出番が減っているのは確かだ。
長いこと使い続けてそれなりに愛着もある「青春18きっぷ」だが、そろそろ「覚悟」を決めたほうがいい時期に入ったのかもしれない。
《関連記事》
・2023年「青春18きっぷ」発売額や利用期間は従来通り 春・夏・冬の3シーズン
・「青春18きっぷ」で乗れる列車・路線 昔は乗れたが「いまは乗れない」ケースも