青梅鉄道公園「休園」保存車まとめ 中央・青梅線の歴史学ぶ場にリニューアル



JR東日本系の東日本鉄道文化財団が運営する青梅鉄道公園(東京都青梅市)が、8月31日限りでいったん休園する。数年かけてリニューアルし、早ければ2026年春にも再開するとみられる。

休園する青梅鉄道公園。【撮影:鉄道プレスネット】

青梅鉄道公園は1962年、国鉄の鉄道90周年事業として青梅市の永山公園内に開園。明治期から昭和期にかけ国鉄線で運用された蒸気機関車・電車の合計10両が展示保存されている。開園時に立てられた記念館では、中央線や青梅線の沿線を中心とした鉄道にまつわる資料や写真を展示している。

記念館の展示物。【撮影:鉄道プレスネット】

JR東日本・東日本鉄道文化財団・青梅市の3者は今年2023年4月、設備の老朽化などが進んでいるとして9月1日から休園し、リニューアルすると発表。「中央線・青梅線の鉄道の歴史を伝える学びの場」をコンセプトに記念館の建替などを行い、入園方法や園内設備を見直して「サステナブルな運営」を目指す。休園期間は2025年度末までの予定。

リニューアルの具体的な内容など詳細について、3者は2023年4月の発表では「改めてお知らせいたします」としており、まだ公表していない。一方で「展示物、展示車両の見直し、追加など」を検討するとしており、車両の入替などが行われる可能性が高い。

閉園時の保存車両は次の通り。

5500形蒸気機関車(5540)

明治後半に旅客列車用として導入された英国ベイヤー・ピーコック製の蒸気機関車。5540号機は1897年の製造。晩年は札幌工事局の工事用として1961年まで使われていた。

5500形の5540号機。【撮影:鉄道プレスネット】

2120形蒸気機関車(2221)

「B6」と呼ばれていた明治期の輸入タンク機関車群のひとつ。2221号機は1905年、英国ノース・ブリティッシュが製造し、1955年まで運用された。

2120形の2221号機。【撮影:鉄道プレスネット】

8620形蒸気機関車(8620)

大正期に開発された本格的な国産の量産機で通称「ハチロク」。おもに旅客列車を牽引した。初号機となる8620号機は1914年、汽車製造が製造。九州や四国の国鉄線で運用され、1958年に引退した。

8620形の8620号機。【撮影:鉄道プレスネット】

9600形蒸気機関車(9608)

8620形とともに大正期に開発された本格的な国産の量産機で通称「キューロク」「クンロク」。8620形が旅客列車用だったのに対し、9600形は貨物列車用だった。9608号機は1913年、川崎造船所(現在の川崎重工業)の兵庫工場で製造。1962年まで関西で運用されていた。

9600形の9608号機。【撮影:鉄道プレスネット】

C11形蒸気機関車(C11 1)

都市近郊の近距離旅客列車用として開発されたタンク式蒸気機関車。小型で汎用性が高く、おもにローカル線の列車の牽引機として全国各地に導入された。C11 1はその1号機となるもので、1932年に汽車製造が製造した。

C11形の1号機。【撮影:鉄道プレスネット】

D51形蒸気機関車(D51 452)

D50形に代わる主要幹線貨物列車用として1936年から製造が始まった蒸気機関車。国鉄の同一形式の蒸気機関車としては最多の1100両以上が製造され、一般にも「デゴイチ」の通称で知られる。

452号機は1940年、汽車製造(川崎重工業に吸収合併)の大阪工場で製造。当初は東北本線で運用され、のちに関西本線に移って1972年に引退した。晩年に取り付けられた集煙装置が外観上の特徴。

D51形の452号機。【撮影:鉄道プレスネット】

E10形蒸気機関車(E10 2)

奥羽本線の板谷峠など急勾配区間用として1948年に汽車製造が5両製造した。日本国内のタンク式としては最大の蒸気機関車。5軸の動輪を設けている。国鉄の蒸気機関車としては最後の新製車両となった。1962年に引退。

E10形の2号機。【撮影:鉄道プレスネット】

ED16形電気機関車(ED16 1)

中央本線の八王子~甲府や上越線の水上~石打など勾配区間で貨物列車を牽引する中型機として開発され、1931年に18両が製造された。戦後の1960年代には18両全車が青梅線に移り、石灰石を運ぶ貨物列車の牽引機として運用。1980年に引退した。2018年、国の重要文化財に指定。

ED16形の1号機。【撮影:鉄道プレスネット】

クモハ40形電車(クモハ40054)

東京や大阪の通勤列車用として1932年から1942年にかけ製造された、40系と通称される国鉄電車群の一つ。車体の長さが従来の通勤電車より約3m長く、輸送力を強化したのが特徴だ。クモハ40形は車体の両側に運転台を設けた3等車(のちの普通車)だった。

クモハ40054は1935年、田中車両工場(現在の近畿車両)で製造。総武線や山手線、青梅線、中央線、日光線などで運用された。その後は牽引車や職員輸送列車で使われ、1987年の国鉄分割民営化でJR東日本が継承。動態保存のイベント列車としても運用されたが、2000年に運用を終了した。

クモハ40形のクモハ40054。【撮影:鉄道プレスネット】

新幹線0系電車(22-75)

22形の22-75。【撮影:鉄道プレスネット】

東海道新幹線の東京寄り先頭車(22形)で、22-75は1969年度の製造。1985年に引退した。

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