日本にやってきたオリエント急行「NIOE」パリ五輪にあわせ復活へ



フランスに本部を置くホテルチェーン「アコー」は6月28日、「オリエント急行」を復活させると発表した。日本で運行されたこともある「ノスタルジック・イスタンブール・オリエント・エクスプレス(NIOE)」の車両を使用。パリでオリンピックが開催される2024年を目指し復元作業を進めている。

搬出時の「NIOE」車両。番号は「3909」で来日時はスタッフ専用の寝台車として使われた。【画像:ORIENT EXPRESS/Accor】

アコーなどによると2015年、フランスの歴史専門家がフランス国鉄(SNCF)の車両履歴調査を実施。ポーランドの首都ワルシャワから直線距離で約170km、ベラルーシ国境に近いマワシェビチェの駅に事実上放置されていた「NIOE」を見つけた。当時の車両の所有者と2年に渡る交渉の末、2018年7月に譲受契約を締結。寝台車12両と食堂車3両、ラウンジ車1両、荷物車1両の計17両を譲り受けてフランスに搬入したという。フランスのニュース専門局『BFM TV』などは2024年にパリ~ウィーンで運行されると報じている。

寝台車の3537(左)と3909(右)。どちらも日本国内で運行されたことがある。【画像:ORIENT EXPRESS/Accor】

定期列車としての「オリエント急行」は1883年に運行を開始し、おもにパリ~イスタンブールで運行された。戦前は国際寝台車会社(ワゴン・リ社)が保有する豪華な装飾・設備の寝台車や食堂車を連結し、アガサ・クリスティの推理小説『オリエント急行殺人事件』で世界的にも有名になった。戦後は航空交通の発達などもあって衰退し、一般的な長距離列車に変貌。1977年にはイスタンブールへの直通運転を終了するなど運行区間が順次短縮され、2009年に列車自体が廃止された。

「NIOE」は列車の旅自体を楽しむ観光列車で、スイスの旅行会社「イントラフルーク」の手により1976年に運行開始。おもに1920~1930年代に製造されたワゴン・リ社の客車を購入して戦前の「オリエント急行」を再現した。1988年には日本のフジテレビの企画で来日。パリからシベリア鉄道経由で東京まで運行(香港~広島は貨物船に積載)され、東京に到着後の数カ月間は観光列車として日本各地で運行された。

1993年、イントラフルークが経営悪化のため「NIOE」の運行から撤退し、車両も売却された。来日した車両のうち食堂車として使われた4158は2004年に再来日して2007年から箱根ラリック美術館(神奈川県箱根町)でカフェスペースとして使われている。それ以外の車両の一部は行方が判然としない状態だった。

マワシェビチェからの搬出時に撮影されたとみられる「YouTube」の動画(2018年12月)によると、13両編成の客車が移動する姿が映し出されており、アコーの発表より4両少ない。車体側面の窓上には「NOSTALGIE ISTANBUL ORIENT EXPRESS」の文字が見える。中央下部に設置されていたエンブレムは取り外されている。

側面下部には車両番号が記されているのが見える。1988年の来日時から番号が変更されていなければ、13両のうち寝台車7両(3472・3480・3487・3537・3542・3551・3909)とラウンジ車1両(4164)、荷物車1両(1286)の計9両が日本国内で運行されたことのある車両になる。

来日時の寝台車3480(上越線の浦佐駅)。【撮影:草町義和】
来日時のラウンジ車4164(上越線の浦佐駅)。【撮影:草町義和】

昔の客車を使用して「オリエント急行」を再現した観光列車は「NIOE」のほか、1982年からおもにロンドン~ベニスで運行されているベルモンド社の「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)」がある。

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