47都道府県のなかで沖縄県は国鉄線が唯一建設されなかった。戦前には沖縄県営鉄道の国有化運動があり、戦後も国鉄線の建設構想が浮上したことはあったが実現せず、国鉄自体が1987年の分割民営化で消滅してしまった。
国鉄の線路は敷かれなかったが、国鉄の車両はいくつか持ち込まれている。とくに知られているのが「デゴイチ」こと蒸気機関車D51形の222号機だろう。
沖縄が日本に復帰した1972年、北九州市の国鉄職員が那覇市内の小学生を北九州に招待した。その小学生がとくに興味を示したのが「デゴイチ」だったという。そこで国鉄職員らは沖縄に「デゴイチ」を送ることを企画。全国から寄付を募り、1973年にD51 222が沖縄に運び込まれた。現在は那覇市内の与儀公園で静態保存されている。
沖縄に持ち込まれた国鉄車はほかにもあった。1975年6月、沖縄本島の本部半島北側にある今帰仁村(なきじんそん)に「沖縄リゾートステーション」という宿泊施設がオープン。計16両の国鉄車両を搬入し、「SLホテル」として営業した。
当時の沖縄リゾートステーションの写真を見ると島式ホームと線路が整備され、車両が複数の線路に分散して並べられている。蒸気機関車はC57形の87号機で、沖縄に運び込まれるまでは北海道の室蘭本線などで運用されていた。客車は10系客車のA寝台車10両とグリーン車2両、お座敷客車の80系2両、20系客車の食堂車1両だったという。
ホームはV字型の上屋が設置されていて洗面台も設けられている。この洗面台は夜行列車が発着していた国鉄主要駅でよく見られたものに似ている。まるで実在する国鉄駅に夜行列車が停車しているかのようだ。
SLホテルは蒸気機関車と寝台車などを静態保存し、ホテルとして使用した宿泊施設のこと。1974年、国鉄中村線(現在の土佐くろしお鉄道中村線)の中村駅(高知県中村市、現在の四万十市)にSLホテルがオープンしてブームになった。今帰仁のSLホテルもブームのなかでオープンしているが、計16両という車両数は全国各地のSLホテルのなかでも最大級の規模だった。西へ10kmほど行ったところに沖縄国際海洋博覧会(1975年7月~1976年1月)の会場があったから、海洋博の宿泊需要も見込んでいたのだろう。
1970年代中後半には全国10カ所以上にSLホテルがオープンしたが、通常のホテルや旅館に比べると客室が狭いなどの制約もあり、ブームが過ぎるとすぐに減っていった。今帰仁のSLホテルも1982年には営業を終了したようで、跡地は運動公園として再整備された。車両はすべて撤去されている。
1993年に国土地理院が撮影した現地空中写真を見る限りでは、C57 87と客車1両らしき物体が残っている。C57 87はふるさと創生事業の交付金を使って1991年に修繕されたが、2005年に解体済み。客車はそれより前に撤去、解体されたようだ。
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