旅客列車のなかには、駅に到着してもドアを開けず、客の乗り降りができない状態のまま発車することがある。これを「運転停車」といい、そのほとんどは運転士の交代や、単線区間での列車の行き違いのため。一般に市販されている時刻表や駅の案内などでは、実際には停車していても通過扱いとしている。
いまから60年近く前の1961年10月1日、この運転停車が原因で「能生騒動」「能生事件」などと呼ばれる珍事が起きた。
その場所は、新潟県の上越地方を日本海沿いに走っていた北陸本線の能生駅(能生町、現在の糸魚川市)だ。日本国有鉄道監修『時刻表』1956年12月号(日本交通公社)によると、同駅に停車していたのは普通列車の上下計17本。ほかに急行「日本海」「白山」「北陸」も走っていたが、いずれも能生駅は通過だった。能生は日本海沿いの小さな町で、急行を停車させるほどの需要がなかったのだ。
1961年10月1日のダイヤ改正では、普通列車が1本増えて上下計18本になったものの、急行はこれまで通り通過。一方、この改正で新設された大阪~上野・青森間の特急「白鳥」は能生駅で停車することになった。
誤って「乗り降り可能な停車駅」に
といっても、これは客扱いを行わない運転停車。当時の北陸本線は非電化単線だったため、同駅で上下の「白鳥」が停車して行き違うことになったのだ。交通公社が発行したダイヤ改正号の『時刻表』でも、「白鳥」は上下とも能生駅は通過として表記されていた。普通列車しか停車しない駅なのだから、運転停車になるのも当然といえば当然だろう。
ところが、当時の能生駅を管轄していた国鉄の金沢鉄道管理局(現在のJR西日本金沢支社に相当)は、駅に掲出する時刻表に上り「白鳥」の発車時刻を誤って載せてしまった。運転停車ではなく、客の乗り降りが可能な停車駅として表示してしまったのだ。
それまで普通列車しか停車しない小さな町の駅に特急が停車するというのだから、一大事。これを信じた能生町の町民がダイヤ改正当日、喜び勇んで能生駅に詰めかけたが、下り「白鳥」はもちろんのこと、上り「白鳥」もドアを開かず、客の乗り降りがないまま発車。歓迎ムード一色だった当の町民たちは、いったい何が起きたのか、その場では分からずちんぷんかんぷんだったらしい。
この珍事はのちに新聞で報じられたが、端的にいえば案内上のうっかりミスでしかなく、歴史に残るような大事件ではない。ところが、この「事件」よりあとに生まれた世代の鉄道マニアは、なぜか「能生事件」のことをよく知っている人が多いように思える。
「大百科」が珍事を紹介
これはおそらく、南正時『特急もの知り大百科』(勁文社、1980年)の影響が大きいだろう。勁文社は1970年代後半から子供向けのポケット百科シリーズ「ケイブンシャの大百科」を刊行しており、子供たちのあいだで人気を博していた。
『特急もの知り大百科』も「ケイブンシャの大百科」シリーズのひとつ。この本のなかで、すでに20年ほどが過ぎていた「能生事件」の項目を立て、漫画入り(作画:えがしら剛)で面白おかしく紹介していたのだ。筆者が「能生事件」のことを知ったのも、この本がきっかけだった。
ちなみに「事件」から8年後の1969年、北陸本線は内陸寄りに建設された複線電化の新線に切り替わり、能生駅も内陸寄りに移転。「事件」の現場は特急列車どころか線路や駅舎もなくなってしまった。跡地は現在、糸魚川市の能生事務所(旧・能生町役場)や能生生涯学習センターなどの公共施設がある。
一方、移転後の能生駅を含む北陸本線・直江津~市振間は2015年3月の北陸新幹線の金沢延伸開業に伴い、JR西日本から第三セクターのえちごトキめき鉄道に経営を移管。路線名も日本海ひすいラインに変わったが、駅自体は現役だ。
現在の能生駅のホームに立って「ここで『能生事件』が起きたのかあ」と感慨にふけるのは自由だが、そこは「能生事件」の現場ではないのでご注意を。
《関連記事》
・北陸本線のSL列車「SL北びわこ号」10月10日から運転開始 D51 200がけん引
・国鉄長期債務残高2018年度は約16兆8000億円 国会への報告内容を閣議決定