東武鉄道の100系特急型電車「スペーシア」といえば、東京と日光・鬼怒川方面を結ぶ特急「けごん」「きぬ」の車両として知られる。10年ほど前にリニューアルされ、車体の塗装もデビュー当時とは異なるものに変わった。
しかし、このほど9編成中5編成を「リバイバルカラーリング」と題し、デビュー当時の塗装に順次戻すことが決定。6月5日から「リバイバルカラーリング」車両の営業運行が始まる。
この「スペーシア」がデビューした当時の広告看板が、意外といえる場所にいまも残されている。その場所は東成田駅(千葉県成田市)。成田国際空港の敷地内にある、京成電鉄の地下駅だ。
東成田駅は京成成田~東成田間を結ぶ東成田線の終点。いまは2002年に開業した芝山鉄道線も同駅に乗り入れている。島式ホーム2面4線だが南側の1面は閉鎖されていて、いまは車両の留置施設として使われている。この閉鎖された薄暗い地下ホームの側壁に、「スペーシア」の広告が掲出されているのだ。
横長の広告の左側には、「スペーシア」の外観と車内の写真を配置。外観写真は、ジャスミンホワイトをベースにパープルルビーレッドとサニーコーラルオレンジの帯を巻いたデビュー当時の塗装だ。右側には「感動が加速する。」「特急スペーシアで行く日光・鬼怒川」と記されている。もっとも、掲出から相当な期間が過ぎていて手入れもされていないせいか、全体的に汚れて色あせている。
東成田駅は「初代・成田空港駅」
なぜ閉鎖された地下のホームに「スペーシア」の広告が掲出されているのか。そこには成田空港と東成田駅の歴史が絡んでいる。
新東京国際空港(現在の成田空港)が開港したのは1978年5月。これにあわせて京成電鉄は成田空港に乗り入れる路線を開業し、初代・成田空港駅を開設した。これが現在の東成田駅だ。2代目となる現在の成田空港駅とは異なり、空港のターミナルビルから離れた場所に設けられた。
京成電鉄としてはターミナルビルに直接乗り入れることを目指していたが、当時は東京駅と成田空港ターミナルビルを直結する成田新幹線を整備して空港アクセス輸送を行うことになっていたため、京成電鉄の初代・成田空港駅はターミナルビルから離れた場所に設置されたのだ。
しかし、成田新幹線は沿線の建設反対運動などの影響を受け、成田空港内とその周辺を除いて工事がほとんど行われなかった。この状態のまま成田空港が開港してしまい、開港当初の鉄道アクセスは京成電鉄だけ。京成の成田空港駅でバスに乗り換え、ターミナルビルに向かわなければならなかった。
その後、成田新幹線はターミナルビルに直結する空港駅施設などが完成した1983年をもって工事が凍結。1987年の国鉄分割民営化にあわせて正式に中止され、鉄道アクセスの不便は続いた。
近年は間近で見られる機会も
それから時が流れて1990年6月、東武鉄道の「スペーシア」がデビュー。これに伴い、初代・成田空港駅のスカイライナー(京成電鉄の成田空港アクセス特急)専用ホームの側壁に、「スペーシア」の広告が掲出されたとみられる。海外からの観光客が多い日光に向かう特急列車の車両だから、成田空港内の施設に広告を出すのは自然な流れといえた。
しかしこの頃、成田空港のアクセス鉄道は大きく変わろうとしていた。完成済みだった成田新幹線の空港駅施設に京成線とJR線の線路を敷き、ターミナルビルに直接乗り入れさせる計画が浮上。1991年3月、ターミナルビル直結の2代目・成田空港駅が開業し、スカイライナーも同駅を発着するようになった。
一方、従来の初代・成田空港駅は駅名を東成田駅に変更。おもに空港従業員が利用する通勤列車のみ発着するようになり、スカイライナー専用ホームは閉鎖された。この結果「スペーシア」の広告も役目を終えたが、掲出されたまま放置されているというわけだ。
「スペーシア」の広告は閉鎖されたホーム側の壁に掲出されているが、現在使われているホームからも遠目にはなるが見られないことはない。また、近年はイベント列車の発着で閉鎖されたホームを使用することがあり、その場合は間近で「スペーシア」の広告を見ることができる。
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