国鉄「幻の石油パイプライン」どこを通る計画だった? 100km以上「600両分」



石油や天然ガスなどの液体や気体を運ぶ「パイプライン」。日本にも多数のガスパイプラインが整備されているほか、羽田空港や成田空港の航空燃料輸送用パイプラインもある。

横浜線を走る列車。国鉄時代、線路敷地にパイプラインを埋設する計画があった。【画像:ジュンP/写真AC】

現在のJR線を運営していた国鉄も、かつて「京浜・南埼玉パイプライン」という石油パイプラインを整備しようとしたことがあった。

日本では戦後の1960年代、自動車交通や石油暖房の普及などで、燃料の主役が石炭から石油へと変化。そのため、石油の輸送需要も急激に増加した。これに加えて1967年、新宿駅でタンク車の炎上事故が発生したことから、国鉄は安全対策や輸送力強化の一環として石油パイプラインの整備を構想。線路敷地の下にパイプラインを埋設し、これにより石油輸送の貨物列車を減らして別の貨物の輸送力を増やそうとした。

こうして東京湾岸の製油所から北関東に伸びるパイプラインの整備が構想され、国鉄は1969年にパイプラインの調査委員会を設置。第1期計画として京浜・南埼玉パイプラインの建設計画が1971年6月25日、運輸大臣に認可された。翌1972年、国鉄のほか石油精製会社など10社が共同出資する事業実施会社「京浜パイプライン」が設立されている。

■関東西部の環状ルート

『日本国有鉄道百年史 第13巻』(国鉄、1974年2月)や『貨物鉄道百三十年史 中巻』(JR貨物、2007年6月)などによると、第1期計画は関東西部を環状するようなルート。パイプラインの起点は、東京湾岸の製油所がある鶴見線の安善駅(横浜市鶴見区)付近と東海道本線貨物支線(高島線)の新興駅(横浜市神奈川区、廃止済み)付近とし、ここにパイプラインの「発ターミナル」を設置するものとしていた。

ここから横浜線・八高線・川越線の線路敷地を活用して延長約110km、直径16インチ(約41cm)の導管を整備。途中、横浜線の橋本駅付近に「ブースターポンプステーション」、中央本線の八王子駅付近と川越線沿線に「着ターミナル」を設けるものとし、終点は川越線沿線の「南埼玉着ターミナル」となる計画だった。

京浜・南埼玉パイプラインのルート。【画像:国土地理院地図/加工:鉄道プレスネット編集部】

1日あたりの輸送力は2万8400klで、石油タンク車600両に相当。直接的には、輸送力がひっ迫していた品川~鶴見間の東海道本線貨物バイパス線(現在は貨物列車のほか横須賀線や湘南新宿ラインの列車が走っている品鶴線)の救済策だったという。

■線路からずらして設置

国鉄が運輸大臣認可後の1971年8月に制定した石油パイプライン建設基準規程では、原則として線路の中心線から2~4m以上離れた場所の地下に導管を埋設するものとしていた。線路の真下は列車の荷重がかかり、導管に影響するためだ。ほかにも、パイプラインの安全性を確保するため、漏洩検知装置や緊急遮断弁、圧力安全装置、消火設備などの保安設備を設置するものとしていた。

しかし「成田空港(ジェット燃料のパイプライン輸送)と連動した強力な反対運動、その後の鉄道輸送事情の変化、国鉄の民営分割化の諸情勢」(『貨物鉄道百三十年史』)により、パイプラインの計画は中止。ほかに「二度のオイルショックを経て、石油需要が減退」(1992年5月21日付け日刊工業新聞)したことも背景にあった。京浜パイプラインは分割民営化直前の1986年に解散した。

国鉄によるパイプラインの計画は幻に終わったが、その研究成果は成田空港の航空燃料輸送用パイプラインの整備で生かされた。

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