京都~大阪「幻の貨物別線」のルート 南下→西進、北陸新幹線とちょっと似ている?



日本海側を回って東京と大阪を結ぶ計画の北陸新幹線。金沢以東が開業済みで、金沢以西は敦賀駅までの区間が工事中だ。一方、敦賀駅から先は未着工。いつ実現するのか、そもそも実現するのかどうかも分からないが、想定されるルートの範囲で環境影響評価の手続きが行われている。

かつて構想された「貨物別線」の想定ルート上に建設された大阪貨物ターミナル駅。右奥に東海道新幹線の鳥飼車両基地がある。【撮影:草町義和】

環境アセスのルートは、敦賀駅からいったん西へ進み、福井県小浜市(小浜線の東小浜駅付近)からはずっと南下。京都市(京都駅付近)を通り抜けて京田辺市(片町線=学研都市線の松井山手駅付近)で再び西に向きを変え、大阪市(新大阪駅付近)に至る。

このうち京都と大阪を結ぶルートは、かつて国鉄が1960年代に構想していた「貨物別線」の想定ルートと、やや似ている。

『貨物鉄道百三十年史 中巻』(JR貨物、2007年6月)によると、東海道本線・湖西線の山科駅(京都市山科区)から分岐して南下。木幡駅(京都府宇治市)から奈良線に併設する形で進んで新田駅で西に向きを変え、東海道本線の吹田操車場(大阪府吹田市、現在の吹田貨物ターミナル駅)に至る42.1kmの構想だった。途中、片町線の長尾駅(大阪府枚方市、松井山手駅の一つ隣)近くに操車場を設けることも考えられていた。

1960年代、山科駅と北陸本線の近江塩津駅を短絡し、関西と北陸の輸送力強化を図る湖西線の計画が具体化していた。そこで山科駅から大阪方面への輸送力も強化するため、貨物別線が構想されたといえる。貨物列車を東海道本線から貨物別線に移すことで、輸送力に余裕ができた東海道本線では旅客列車を増強することが考えられていた。

1960年代に構想された貨物別線(赤)のルート(『貨物鉄道百三十年史 中巻』収録の略図を参考に推定)。京都から南下して西に向きを変えるルートは北陸新幹線の環境アセスルート(薄赤)と似ている。【画像:国土地理院地図/加工:鉄道プレスネット編集部】

また、この構想にあわせ、貨物別線の想定ルート近くにある東海道新幹線・鳥飼車両基地(大阪府摂津市)の脇に、貨物駅(現在の大阪貨物ターミナル駅)を設けることも計画された。

東海道新幹線は計画当初、旅客列車だけでなく貨物列車を走らせることも考えられており、鳥飼車両基地には貨物駅の用地が確保された。新幹線の貨物列車は実現しなかったが、鳥飼に確保した貨物駅用地を活用して在来線の大阪貨物ターミナル駅を整備することになったのだ。

その後、湖西線が1974年に開業。大阪貨物ターミナル駅は建設反対運動の影響で遅れたものの1982年に開業し、吹田操車場と大阪貨物ターミナル駅を結ぶ貨物支線も整備された。しかし、貨物別線自体は構想止まりで中止され、吹田操車場~大阪貨物ターミナル間を除き工事も行われなかった。『貨物鉄道百三十年史 中巻』は、その理由として「国鉄財政の悪化と鉄道貨物輸送需要の落ち込み」を挙げている。

貨物別線がもし着工していたら、どうなっていただろうか。鉄道貨物輸送の衰退が史実通りに訪れていたとしたら、やはり、おおさか東線などのように旅客化されていただろうか。あるいは途中で工事が中止になり、随所に貨物別線の遺構が残ることになっていたかもしれない。北陸新幹線のルート検討とのタイミングに合っていれば、買収した敷地を北陸新幹線に転用することも検討されただろうか。