九州では福岡市に次いで2番目に人口が多く、大規模な工業地帯を有する北九州市。大きな街だけに多数の鉄道路線が通っているが、そのなかには時刻表に掲載されていない鉄道もある。日本製鉄の専用鉄道、通称「くろがね線」。いったいどんな鉄道なのかと9月28日、くろがね線の線路に沿って歩いてみた。
日本製鉄の製造拠点の一つ「九州製鉄所八幡地区」は、北九州市内の小倉・戸畑・八幡の3エリアに分散している。戸畑と八幡は学校でも習う官営八幡製鉄所がルーツ。小倉は東京製綱の小倉製鋼所が起源だ。のちに新日本製鉄(戸畑・八幡)と住友金属(小倉)に集約され、新日鉄住金への統合を経て日本製鉄になった。
このうち戸畑・八幡の両エリアがくろがね線で結ばれており、製鉄所で生産された半製品を運んでいる。
小倉駅から鹿児島本線の下り普通列車に乗り、2駅目の九州工大前駅で下車。この駅の北側が九州製鉄所八幡地区の戸畑エリアで、駅から北東約300mのところには、くろがね線の操車場もある。
とりあえず操車場の見える場所まで歩いたが、台車(半製品を搭載するための貨車)らしきものが数両、カメラの望遠レンズを使って何とか確認できるだけ。機関車の姿は見えなかった。
くろがね線の列車は製鉄所の生産状況にあわせて運転されるため、営業路線のようなダイヤは存在しないという。ただ、朝の7時30分頃に八幡エリアを出発して30分かけて戸畑エリアに向かい、9時00分頃までに八幡エリアに戻る列車は、運転される確率が高いらしい。いまの時刻は8時40分過ぎ。列車はもう八幡に戻ってしまったのかもしれない。
線路を覆うフェンスとレトロな橋台
くろがね線の線路はここから鹿児島本線をくぐり、その先は住宅街を貫くようにして南下する。両側に側道があるので、線路に沿って歩くのは簡単だ。ただ、線路は一段低い掘割状の敷地にあり、線路敷地と道路を遮るネットフェンスもある。場所によっては樹木も並んでいて、線路に近づくことはおろか、写真を撮るのも難しい。
掘割の敷地には複線分のスペースがあり、そのうち東側に単線の線路が敷かれている。西側のスペースは太いパイプが複数設置されてはいるが、それでも敷地に余裕がある。架線柱は複線用のもので、かなりさびている。元は複線だったが、輸送量の減少で単線化されたのだろう。
くろがね線の線路に沿って、ひたすら側道を歩いて行く。いつしか高低差が変化し、側道と線路がほぼ同じ高さになったが、ネットフェンスと樹木に加えてコンクリートの防護壁も姿を現し、間近で線路を見ることはできない。
歩道橋から線路を眺めてみると、地中に管路を埋め込むための工事が行われており、レール上には工事用のトラックなどが停止している。これでは列車を走らせることはできない。列車は戸畑を出発済みどころか、そもそも運休しているのかもしれない。
今度は線路の位置が高くなり、くろがね線が鉄橋で道路をまたぐ。福岡県道271号をまたぐ北一枝鉄道橋の橋台は、レトロな雰囲気漂う石積み。築堤の法面(のりめん)に連なる部分を曲線で表現していて、デザインが凝っている。
防音カバー付きの電気機関車
ここから線路は右にカーブして西に向きを変える。線路はいままで以上に高い木々で覆われており、ほとんど見えない。今日は運休しているようだし、まあいいか……と考えながら歩いていたら、かすかに地鳴りのような音が線路のほうから響いてきた。
あわてて県道271号との交差部に戻り、鉄橋の脇にある歩道橋にあがってみると、列車が戸畑エリアに向かって走っていくのが見えた。すぐにカメラを構えたが、線路脇のパイプなどに邪魔された。
ただ、戸畑へ向かう列車が走り抜けたということは、そう遠くない時間に折り返して八幡に戻る列車が走るはずだ。カーブする線路脇の道路を進んでいくと、再び線路が掘割状のスペースに入る。道路橋が線路をまたぐ形になり、ネットフェンス越しながら線路の状態を見られるようになった。ここで20分ほど歩みを止めたところ、案の定、戸畑方面から列車がやってきた。
オレンジ色とクリーム色の2色に塗られた電気機関車が、鉄の半製品を積んだ6両ほどの台車をけん引し、後ろにも青と白のディーゼル機関車が連結されていた。列車は私のいる道路橋をくぐり、丘陵地帯に広がる住宅街を貫くようにして進んでいった。
それにしても、列車からの音や振動はほとんど感じない。速度が10km/h程度と非常に遅いうえ、機関車の台車がある部分がカバーで覆われているためだ。音や振動が外部に漏れないよう、徹底した対策が施されているのが分かる。
トンネルは「ローマの城壁」
再び西へ歩いて行くと、線路はトンネルのなかへと入っていく。全長約1.2kmの宮田山トンネルだ。トンネルポータルは花こう岩の石積み。草で覆われていて形状は分かりづらいが、上方に4本の高い突起物、さらにその両脇にも低い突起物がある。ローマの古い城壁を模したデザインという。
この先は線路が見えなくなるが、地図には宮田山トンネルの上方を通る道が描かれている。かなり急な上り坂だが、アスファルトで舗装されていて歩きやすい。場所によっては細いパイプが数本設置されていて、パイプのある部分はネットフェンスで覆っていた。
息を切らしながら600mほど歩くとピークに達し、遠くには洞海湾と、その湾岸に広がる工場地帯が見えた。
今度は急な坂を下り、宮田山トンネル八幡寄り坑口の真上に出る。少し進んで反対方向を向くと、こちらも凝ったデザインのトンネルポータルがあった。坑口の上は三角屋根を模したようなデザインになっている。花こう岩を使った石積みで裏込めコンクリート構造、ルネッサンス様式のデザインという。
ここでも線路脇で管路の工事が行われている。トラックに搭載されている何かの装置から大きな音が出ていて、作業員のかけ声も聞こえてきた。列車がやってくる時間になれば、これらの作業は中断して静かになるだろう。しかし、10分、20分、30分と時間が過ぎても、工事の音は止まらない。
いつしか1時間が過ぎて、そろそろ帰ろうか、いや、あと10分くらい待つかと悩みはじめた頃、工事の音が止まった。いよいよかと思ってカメラを構えたが、列車はやって来ない。1時間半ほどが過ぎて、今度こそ帰ろうと思ったその矢先、遠くに見えるトラス橋のなかで、オレンジとクリームの2色が動いている姿が見えた。
沿線の宅地化で「遮断」進む
くろがね線は1927年に着工し、1930年に使用を開始した。全長は約6kmだが、ほかにも八幡と戸畑のエリア内にある各工場につながる分岐線や、鹿児島本線につながる線路がある。線路の総延長は約120kmに及ぶという。
かつては炭滓線(たんさいせん)と呼ばれていた。使用開始当初は、銑鉄(高炉を使って鉄鉱石から取り出した鉄)を戸畑から八幡に運び、八幡からは炭滓(石炭の燃えかす)や鉱滓(こうさい、製錬によって生じた残りかす)を運んで戸畑エリアの拡張、つまり埋立地の造成に使っていた。
戦後の1960~1970年代には沿線の宅地開発が進み、単に安全上の問題だけでなく騒音・振動の対策も必要になった。線路はネットフェンスや木々などで徹底的に「遮断」。機関車にも防音対策が施された。
1972年には、社内募集によって現在の「くろがね線」という愛称が付けられた。線名に含まれていた炭滓を運ぶことがほとんどなくなったためだが、沿線住民に親しみを持ってもらおうとの狙いもあったのだろうか。1994年には、車体にワニのイラストを大きく描いた電気機関車が登場。「アイアン・フレンド号」と名付けられた。
新線の建設は幻に
現在は最盛期に比べると輸送量が減ったが、実は数年前、新線を整備しようという動きがあった。
2015年3月、当時の新日鉄住金が発表した中期経営計画。戸畑エリアの高炉の生産能力を向上させる一方、小倉エリアは高炉を休止し、鉄を棒状などに加工する作業に専念させることにした。
そのため、戸畑エリアで生産した鉄を小倉エリアに運ぶ必要が生じ、戸畑エリアと小倉エリアを結ぶ新線が構想された。詳細な計画は発表されなかったが、長さ約3kmの海底トンネルを含む新線の整備が考えられていたようだ。
しかし、この構想はすぐに幻と化した。翌2016年3月、新日鉄住金は戸畑エリアに最新の製鋼設備を整備すると発表。これにより製鋼工程も戸畑エリアに集約し、小倉エリアの第2高炉と製鋼工場は2020年度末をめどに休止することになった。さらに今年2020年に入ると、新型コロナウイルスの影響で鉄鋼需要が急速に減少。小倉第2高炉の休止が前倒しされた。
もはや新線の計画がどうこう言っている場合ではないが、くろがね線の列車はコロナ禍のなかでも走り続けている。今後の鉄鋼需要や製鉄所の機能再配置計画の動向にもよるだろうが、末永く走り続けてほしいと思う。
《関連記事》
・ドイツの機関車メーカーが日本向け機関車の供給契約を締結
・JR九州の新観光列車「36ぷらす3」公開 787系改造、17年ぶり復活ビュッフェに個室や畳敷き