【未成線の思い出】バス専用道になった「五新線」1日1回だけ「単線の儀式」を見る



未完成の鉄道路線を「未成線」と呼ぶ。2027年の部分開業を目指して工事中のリニア中央新幹線も未成線だ。しかし、鉄道マニアのあいだで未成線といえば、建設資金の調達不調や事業者の経営悪化などの理由で計画や工事が途中で中止され、幻に終わった鉄道を指すことが多いように思う。

奈良県の五条駅から南へ約11.6kmの城戸を結んでいたバス。国鉄未成線の五新線(阪本線)として建設された路盤を活用したバス専用道を走っていた。【撮影:草町義和】

記者は未成線が好きで、実際に何度となく取材もしている。理由は自分でもよく分からないが、工事途中でうち捨てられた築堤やトンネルを見ながら「もし完成していたら、どんな列車が走っていただろうか。沿線は景色がいいから、トロッコ風の観光列車が数往復していたのでは……」などと、小説でも書いているかのように想像力を働かせて楽しめるからだろうか。

紀伊山地を貫くローカル線の計画

国鉄未成線の「五新線」は2004年と2013年、2017年の3回取材した。現在のJR和歌山線・五条駅(奈良県)から紀伊山地を貫くようにして南下。紀伊半島南端にあるJR紀勢本線・新宮駅(和歌山県)までの約100kmを結ぶ計画だった。

五新線(阪本線)のルート(赤)。五条駅と城戸を結ぶバス(緑)が単線の阪本線の路盤を走っていたことがある。【画像:国土地理院地図、加工:草町義和】

実際に工事が行われたのは、奈良県内の五条~城戸~阪本間の約22.5km。1936年に「阪本線」として建設が決まり工事が始まった。このうち五条~城戸間の約11.6kmは、吉野川橋りょうを除いて1959年までに橋りょうやトンネル、築堤などの路盤がほぼ完成。城戸~阪本間も日本鉄道建設公団(鉄道公団、現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構=鉄道・運輸機構)の手により工事が進み、ループトンネルを除いて1980年頃までに路盤がほぼ完成した。

五条~城戸~阪本間の橋りょうやトンネルは一部を除いて完成していた。【撮影:草町義和】

しかしこの頃、国鉄の経営悪化を受け、利用者が少ないと見込まれる国鉄新線(想定輸送密度が1日4000人未満)の工事が凍結されることになり、阪本線の工事も凍結。そのまま再開することなく幻の鉄道と化した。

先に完成した五条~城戸間の路盤は1965年、大半が国鉄バスの専用道として暫定的に活用され、のちにJR西日本を経て同社子会社の西日本JRバスの路線バスになった。

単線=1車線の道路で必要なこと

初めて取材した2004年の時点では、地元バス会社の奈良交通が専用道経由のバスの運行を引き継いでおり、未完成だった吉野川橋りょうとその前後の五條駅~県立五條病院前間は一般道を走行。病院前停留所から専用道城戸停留所まで、阪本線の路盤を舗装した専用道を走っていた。

専用道を走るバス。晩年は西日本JRバスから奈良交通に移管された。【撮影:草町義和】

この取材でぜひとも見ておきたいと思ったのが、専用道上でのバス同士の交換だった。

阪本線はほかの多くのローカル線と同様、上下線が1本の線路を共有する単線として計画され、路盤も単線の幅で建設された。上り列車と下り列車が途中ですれ違うには、線路を2本以上に増やした駅に停車し、列車を交換しなければならない。

阪本線の路盤を活用したバス専用道も単線=1車線分の幅しかないため、上下のバス同士を交換させるためには、幅を広げた停留所などの待避スペースで交換する必要があった。道路を走る自動車なのに、単線の鉄道と同じ形態で交換するというのは、ちょっとユニークに思えた。

バスの時刻表を調べてみると、専用道で上下のバスが交換するのは、専用道神野停留所で1日1回行われるだけ。しかも朝の7時少し前だ。前日に五条駅近くの旅館に泊まり、その翌朝、眠い目をこすりながら専用道神野停留所へ向かった。

「相対式2面2線」をほうふつとさせる停留所

専用道神野停留所は、深い谷間のなかに設けられていた。付近に民家が少しあるものの、人の気配は感じられない。

専用道の幅は停留所の部分だけ2車線分に広がっていて、その両脇に上り五條駅行き乗り場と下り城戸行き乗り場が独立して設けられていた。まるで2面2線の相対式ホームのようだ。上り乗り場には屋根と椅子を設けた待合スペースもあり、ローカル線の小駅をほうふつとさせる。

専用道上に設けられた専用道神野停留所。鉄道なら相対式ホーム2面2線の駅のような構造だ。【撮影:草町義和】

バスの利用者が現れないまま6時56分頃、城戸方面からエンジン音を響かせながら、上り五條駅行きのバスがやってきた。カメラのファインダーでバスの姿を追いながら停留所に視線を移していくと、五條駅方面からも下りバスが近づいているのが見える。

上りのバスは停留所で停車したが、下りのバスはほんの1秒ほど停車しただけで、ドアも開けずに発車。上りバスもほどなくして発車した。上下のバスともに人影は運転手だけ。客が乗っている様子はなかった。

専用道神野停留所で上下のバスが交換した。【撮影:草町義和】

上下の乗り物の行き違いという、いかにも単線鉄道らしい「儀式」は、ほんの1分ほどで終了した。

国鉄・JRバス時代の運行本数は15往復で、多くの停留所や増設した待避スペースでバス同士の交換が見られたようだ。しかし奈良交通への移管後は7往復(土曜・休日は1往復)に減便され、専用道上でのバス交換は平日の1日1回だけに。その後も減便され、最初の取材の数年後には、専用道上でのバス交換が解消された。

専用道自体も途中のトンネルの老朽化などで施設の維持が困難になり、2014年に閉鎖されている。

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