「キセル乗車」昔は合法だった? 中間無札とは異なるもう一つの乗り方



「煙管(キセル)」は刻みたばこを吸うための喫煙具のこと。いまは公共交通の不正乗車のうち「中間無札」を意味する言葉として知っている人のほうが多いかもしれない。

喫煙具の「煙管(キセル)」(2019年、東海道新幹線の喫煙車で撮影)。【撮影:鉄道プレスネット】

中間無札とは、利用する区間の両端だけ切符を購入し、中間は運賃を払わない不正乗車のこと。キセルは刻みたばこを詰める「火皿」と、口にくわえる部分の「吸い口」、そして火皿と吸い口をつなぐ筒の「羅宇(らう)」で構成されている。吸い口と火皿は金属製で、その中間の羅宇は竹製であることが多い。このため、中間無札のことをキセルの構造になぞらえて「煙管乗り」「キセル乗車」などと呼ぶようになった。現在は中間無札に限らず不正乗車全般を「キセル乗車」と呼ぶことも多い。

「キセル乗車」といった言葉はいつから使われるようになったのか。数年前に調べたときは1925年(大正14)発行の文献に「煙管乗り」という表現を見つけたが、その後も折りに触れて調べた結果、明治中期の文献に「煙管乗」「キセル乗」といった言葉があった。ただし、明治中期の文献に記載されていた乗り方は中間無札ではなく、合法なものだった。

中間を「ダウングレード」

私がこれまで確認した限り、「煙管乗り」「キセル乗車」やそれに類する言葉を使用した文献で最も古いものは「車窓漫筆」。明治期の歌人で国文学者だった落合直文の随筆だ。「汽車通」から聞いた話として「君は、煙管乗といふを知るかといふ」と語り、そのうえで「煙管乗」の具体的な方法を次のように解説している。

新橋など出づる時は、見送人などあるがために、上等の切符を買ひて、上等室に来るなり(中略)その切符は、横浜あたりまでの切符にして、横浜よりは、更に、下等の切符を買ひて、下等室に乗るなり。かくて、自分の郷里、即ち、西京とか、大坂とかに至れば、出迎人もある故、そのすこし前の停車場にて、また、上等の切符を買ひて、上等室にうつるなり。そのさま、前後は金にして、中は竹なる、煙管の如くなれば、煙管乗といふ。世には、おもしろき乗方もあるものかな。

「車窓漫筆」は1904年(明治37)初版発行の『萩之家遺稿』に収録されており、この前年の1903年(明治36)に落合が死去。遅くともこの年には「煙管乗」という言葉が存在していたことになる。

この時代の鉄道は3等級制。座席のグレードが高い順から「1等(上等)」「2等(中等)」「3等(下等)」と呼んでおり、各等級ごとに利用距離に応じた運賃が設定されていた。当然、1等が高くて3等が安い。

「車窓漫筆」の記述に基づくと、たとえば東海道本線の新橋~大阪を列車で移動する場合、両端の新橋~横浜と京都~大阪は上級車両の1等車や2等車の切符を購入して乗車。その中間の横浜~京都は下級車両の3等車の切符を買って乗るといった方法がキセル乗車になる。

明治期の1等車の車内。【出典:日本国有鉄道工作局編『国鉄車両写真図鑑』交通博物館、1954年】

それぞれの区間で利用する座席の等級に応じた切符を購入すれば、不正乗車にはならない。中間で利用する座席のグレードを下げるところから「前後は金にして、中は竹なる」キセルの構造にちなんで「煙管乗」と言ったようだ。

「見栄」をはるための知恵

合法とはいえ、なぜこんな面倒な乗り方をする人が出現したのか。前述した例の場合、新橋駅の見送人は上級車両に乗った姿しか見ておらず、大阪駅の出迎人も上級車両から降りてきた姿しか見ていない。送迎した人は「新橋から大阪まで上級車両に乗った」と思うことだろう。つまり、送迎人の前で上級車両を乗り降りして「見栄」をはりつつ、見栄をはる必要がない中間は下級車両に乗ることで費用を抑えるという知恵だったのだ。

「車窓漫筆」はキセル乗車について「議員などの、よくする事」とある。ほかの文献でも「某中学校の先生が転任になりました時に、見送りに参りました」「其の先生は二等の汽車に乗ったのでありました」「ところが一緒に行った人が、あの先生、キセル乗りだと言ふのであります」「二三の駅までああして二等室に乗り、それから下車駅の二三手前で、三等赤切符で行くので、下車駅の折はやはり二等であるさうだ」(『天理教理生会講習会講義録』1924年)などの記述がある。議員や教師など、その権威の割には収入があまり多くない人たちのあいだで流行した乗り方だったのかもしれない。

明治期の3等車の車内。【出典:日本国有鉄道工作局編『国鉄車両写真図鑑』交通博物館、1954年】

ちなみに現在の鉄道運賃はモノクラス制。正規の運賃は1種類しかなく、グリーン車に乗るときはグリーン料金を追加で払う。グリーン料金は「100kmまで」「200kmまで」というように大ざっぱに区分されているから、昔の合法的なキセル乗車のようにグリーン車→普通車→グリーン車と乗り継ぐと、全区間でグリーン車を乗り続けるより高くなることが多いような気がする。

「二つの解釈」を混用

ところで、中間無札という不正乗車の手法はいつごろ生まれたのか。はっきりしたことは分からないが、鉄道共有会の雑誌『鉄道』1917年(大正6)9月号の記事は「十年程前(中略)始めてやった方法」と解説している。1917年の10年前なら1907年(明治40)で、『萩之家遺稿』の初版発行から少しあとのこと。合法のキセル乗車にヒントを得て考え出されたのかもしれない。

『鉄道』1917年9月号の記事は、中間無札のことを「所謂煙管乗」と表現しているから、遅くとも大正期には中間無札のことも「キセル乗車」などの言葉で表現するようになったとみられる。ただし、1925年発行の『社交用語の字引 新しい言葉・通な言葉・故事熟語』(実業之日本社)は、「煙管乗り」を「之には二つの解釈があり~」とし、「見栄をはるため」のキセル乗車と中間無札のキセル乗車の両方を解説している。

その後に発行された辞書類でも合法・不正の両方を解説しているものがいくつかあり、しばらくは「二つの解釈」が混用されていたようだ。一方で1949年以降に発行された文献では、合法の「キセル乗車」に触れたものはいまところ見つけ出せていない。終戦から数年後には、「キセル乗車」は不正乗車の意味に限定して使われるようになったのかもしれない。

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