大井川鉄道「普通ではない普通客車列車」全6本に乗ってみた 平日に運行する理由



大井川鉄道(静岡県)が少しユニークな臨時列車を運行している。その名は「普通客車列車」。かつて国鉄が運用していたレトロな旧型客車を電気機関車が牽引し、大井川本線の金谷・新金谷~家山・川根温泉笹間渡で上下計6本が運行されている。

大井川鉄道で運行されている「普通客車列車」。【撮影:草町義和】

列車の種別としては各駅停車の普通列車で座席は自由席。地元住民向けに定期運行している電車の普通列車と同様、運賃だけで乗車できる。大井川鉄道は昭和期の国鉄線で運行されていた普通客車列車の「日常」を令和に再現したとアピール。今年2023年6~7月に第1弾の運行が行われ、今回はその第2弾になる。

国鉄は1980年代の前半まで、戦前から戦後にかけ製造された旧型客車を機関車が牽引する普通列車を全国各地で運行していた。いまは電車や気動車の普及で、普通列車に限らず機関車牽引の旅客列車が非常に珍しい。機関車が牽引する普通列車は、いまでは「普通」ではないのだ。

大井川鉄道といえばSL列車が有名で、国鉄の蒸気機関車や旧型客車をSL列車用として国鉄などから譲り受けて導入。電気機関車も古くから運用しており、電気機関車が旧型客車を牽引して走るEL列車も運行している。機関車牽引の列車を運行することは、大井川鉄道にとって難しいことではない。

これは逆にいえば、大井川鉄道において機関車牽引列車は、さほど珍しい存在ではないということにもなる。しかも、第1弾は平日を中心に運行され、第2弾となる今回も12月まで一部の平日のみ運行することが計画されている。平日に働いている多くの人にとって簡単には乗ることができないし、誘客の面でも不利なはず。にもかかわらず、第1弾の期間中は大勢の人が普通客車列車の旅を楽しんだという。

第2弾の初日となった10月24日、大井川鉄道を訪ねて「普通ではない普通客車列車」の全6本に乗ってみた。

国鉄旧型客車と西武の電気機関車

12時半ごろ、普通客車列車のスタート地点となる新金谷駅に到着。構内の留置線では、電気機関車と国鉄旧型客車で編成された普通客車列車が準備を整えていた。

旧型客車は3両で、金谷寄り1号車(オハフ33 469)と中間2号車(オハ35 559)は茶色の車体。千頭寄り3号車(スハフ43 2)の車体は青く塗られている。1970~1980年代の子供のころ、こうした混色の旧型客車編成による普通列車を見たり乗ったりしていたから、少し懐かしい気分になる。

客車は茶色と青の混色3両編成。【撮影:草町義和】

一方、先頭にはクリームと赤の2色でデザインされた小型の電気機関車1両が連結されている。1986~1987年に製造された西武鉄道E31形のE34で、2010年に大井川鉄道が譲受。2017年から営業運行の列車でも運用されるようになった。国鉄の電気機関車とはデザインが異なり、ここは少し違和感を覚えるところだ。もっとも、列車に乗ってしまえば機関車の外観が視野に入ることはほとんどないが。

新金谷駅の改札前には、鉄道マニアとおぼしき人たちの長い行列ができていた。少なくとも40人くらいいるだろうか。13時28分ごろ、1本目となる下り家山行き臨時普通列車(列車番号:第51列車)の改札が始まった。

新金谷駅の改札前で普通客車列車への乗車を待つ人たち。【撮影:草町義和】

行列がぞろぞろと動いてホームに取り付き、列車に乗り込んでいく。その様子を脇で見ていた大井川鉄道経営企画室(広報担当)の山本豊福次長は「平日の昼間なのに、こんなに大勢来るとは」と驚いていた。とはいえ3両あわせた座席定員は240人ほどだから、座席には余裕がある。

私は2号車のオハ35 559に腰を落ち着けた。戦前の1939年から戦後の1950年まで約1300両が量産された、オハ35系と呼ばれる客車群の3等車(現在の普通車)だ。オハ35 559は80年以上前、戦時中の1942年の製造。車内は4人掛けボックスシートがずらりと並び、壁や座席の枠、床は木材が使われている。いまとなってはレトロを超越した鉄道の歴史を感じさせる。

2号車のオハ35 559。レトロな車内が歴史を感じさせる。【撮影:草町義和】

懐かしの「振動」と動作の「繰り返し」

13時46分、第51列車は新金谷駅を発車。その瞬間、ガクンという振動が体に少し伝わった。機関車が牽引する列車特有の発車時の振動で、電車や気動車の振動とは明らかに異なる。この振動を「味わう」のは何年ぶりだろうかと思う。

しばらくして車内に『ハイケンスのセレナーデ』という、国鉄列車の定番だったチャイムが流れ、車内放送が始まる。ドアは手動で走行中に開けないようにという注意事項や、混んでいるときは相席に協力していほしいといったお願いが案内される。

民家と田園が混在する平坦な土地をしばらく進み、代官町、日切と各駅に停車していく。そのたびに車掌が手動ドアを開いてホームに出て、客の乗降と安全を確認。電気機関車の機関士に合図を送り、「ガクン」の振動とともに発車するという動作を繰り返す。この一連の動作の「繰り返し」も懐かしい。

機関士に合図する車掌。【撮影:草町義和】

大井川鉄道のSL列車やEL列車は列車種別としては「SL急行」「EL急行」で、途中駅は一部を除き通過。各駅に停車する普通列車としての動作の「繰り返し」を味わうことはできない。これを再現したのも普通客車列車の人気の一つかもしれない。

門出駅を発車してしばらくすると両側に山並みが迫り、進行方向右側の窓には川幅がやたらと広い大井川の威容が広がった。窓を開けているので自然の風が顔に当たり、景色と相まって気持ちいい。

列車は大井川に沿って走る。窓を開ければ自然の風が心地いい。【撮影:草町義和】

そのうち、弁当や飲み物などを載せたワゴンの車内販売がやってきた。私が1970~1980年代の国鉄普通列車で車内販売を見かけたことはほとんどないから、昭和期の普通列車の「日常」とまでいえるかどうか微妙だが、まったく見かけなかったわけでもない。それに停車駅で飲食類を入手できる機会は少ないから、必要なサービスではある。

弁当や飲み物の車内販売もあった。【撮影:草町義和】

機関車の「機回し」と「増結」

14時21分、第51列車は終点の家山駅に到着。列車はここで折り返すため、機関車を千頭寄りから金谷寄りに付け替える「機回し作業」を行う必要がある。E34が3号車のスハフ43 2から切り離されて千頭方面に少し進み、向きを変えて客車編成の脇を通過。再び向きを変えて1号車のオハフ33 469に連結する。この機回しもいまでは見かけることが少なくなった。

1本目は家山駅で折り返す。【撮影:草町義和】

大井川本線は昨年2022年9月の台風15号で線路が土砂に流入するなど大きな被害が発生。現在も家山駅から二つ先の川根温泉笹間渡駅から千頭駅までは運休中だ。しかも川根温泉笹間渡駅は単式ホーム1面1線の構造で、機回しの際に機関車が通れる線路がない。そのため、第51列車は機回しができる家山駅までの運行になったわけだ。

千頭寄りに連結されたE34を切り離す。【撮影:草町義和】
E34を金谷寄りに連結しなおして折り返しの準備が完了。【撮影:草町義和】

2本目は上り金谷行き臨時普通列車の第52列車として14時45分に発車。車内の客の人数や顔ぶれは第51列車とあまり変わっていない。明らかに移動の手段としてではなく、普通客車列車に乗ること自体を目的にした客が多数派のようだ。後方3号車の最後尾に向かうと、貫通ドアの窓から線路が流れていく姿が見え、ちょっとした展望スペースのようになっていた。

最後尾はちょっとした展望スペースのよう。【撮影:草町義和】

15時21分、スタート地点の新金谷駅に戻る。ここでは20分停車し、金谷寄りのE34を機回しで千頭寄りに付け替え。さらに金谷寄りには電気機関車をもう1両(E31形E32)連結し、電気機関車2両が客車3両を挟む形になった。発車時には車掌が手動ドアを開けて安全確認を行っていた。

新金谷駅でE34を再び千頭寄りに連結。【撮影:草町義和】
金谷寄りにはE32が連結された。【撮影:草町義和】
手動ドアを開けて車掌が安全確認。【撮影:草町義和】

第52列車は新金谷駅の一つ先、JR東海道本線と連絡している金谷駅まで走るが、大井川本線のホームは川根温泉笹間渡駅と同じで線路が1線しかない。編成の両端に機関車を連結したから、電車や気動車のように機回ししなくても折り返せるのだ。その代わり後ろの車両の貫通ドアからの眺めは見られなくなるが。

金谷駅には15時45分に到着。東海道本線の普通列車に乗り換えようと改札を出る人、東海道本線のホームから大井川本線のホームに入って普通客車列車に乗る人、そして車内に荷物を残したままホームに出て、折り返しの第53列車が発車するまで時間をつぶす人。さまざまな人が狭いホームで交錯していた。

金谷駅に到着した普通客車列車。【撮影:草町義和】

地元客も乗る普通客車列車

3本目の下り川根温泉笹間渡行き臨時普通列車(第53列車)は16時ちょうど、金谷駅を発車。これを機に3号車のスハフ43 2に移った。1951~1952年に製造された、スハ44系と呼ばれる特急列車用客車群の1両だ。

座席の等級上は3等車だったが、改良型の台車を採用したほか、2人掛けシートを設置してシートピッチも広く取っており、特急用として快適性を向上させたのが特徴。東北本線の特急「はつかり」などで運用された。山本次長は「もとは特急用だから乗り心地はいいですよ」と話す。そう言われてみれば、オハ35 559に比べゴツゴツとした振動が減ったような気がした。

特急列車用の客車だったスハフ43 2。【撮影:草町義和】

昭和の普通列車を再現したはずなのに特急用の客車を連結するかとも思うが、この車両は特急列車の電車化や気動車化に伴い普通列車に転用され、座席は2人掛けシートを向かい合わせにして4人掛けボックスシート風に改造されている。車体の外観こそ白帯が2本入った「はつかり」時代を復元しているが、車内は普通列車で運用されていたころの4人掛けボックスシート風のままだ。

もともとは2人掛けシートだったが向かい合わせにして4人掛けボックスシート風になっている。【撮影:草町義和】

2度目の家山駅に到着すると、若い女性が列車を降りてホームを歩いているのが見えた。鉄道マニアや旅行者の風情ではなく、どう見ても地元の中高生だ。何からの事情で親のマイカー送迎を受けられなくなり、たまたま運行されていた臨時の普通客車列車に飛び乗ったのだろうか。

そういえば第51列車の別の途中停車駅でも、地元住民らしき高齢者が下車したのを見かけた。こちらはコミュニティバスを利用するつもりだったが、駅で臨時の普通客車列車の運行を知って切り替えたらしい。

運賃はバスより高いが、コミュニティバスは市街地を循環するルートで時間がかかり、所要時間の面では普通客車列車に分がある。臨時運行の普通客車列車はイベント列車の一種だが、日常の地域輸送も間接的に補っているといえるかもしれない。

40年ぶりに使った「栓抜き」

川根温泉笹間渡駅には16時50分着。編成両端に機関車を連結しているから、今度は機回しできない駅でも折り返すことができる。30分近く停車して17時18分、4本目となる上り金谷行き臨時普通列車の第54列車として発車した。

川根温泉笹間渡駅に到着。この先は水害で線路施設が損傷しており運休中。【撮影:草町義和】

今度は1号車のオハフ33 469に乗ってみる。大井川鉄道が通常運行しているSL列車やEL列車と異なり自由席で座席には余裕があるから、容易に乗り比べできるのはありがたい。

2号車のオハ35 559と同じオハ35系に分類される車両だが、オハ35 559が戦前製なのに対し、オハフ33 469は終戦まもない1948年の製造。デッキ部の屋根の形状や台車が異なるなどの変化がある。客室は近代化改造と呼ばれるリニューアルが大井川鉄道に移る前に実施されていて、明るい色調でデザインされている。

1号車オハフ33 469の車内。オハ35 559と同じオハ35系に分類されるが、近代化改造を受けており内装は異なる。【撮影:草町義和】

車内販売で瓶入りサイダーを購入。ボックスシートの窓下にあるテーブルの下に栓抜きの金具が設置されており、栓を金具に引っかけて瓶を引き上げると栓が外れる。かつては「標準装備」だった鉄道車両の栓抜きだが、缶飲料の普及に伴って姿を消した。この栓抜きを営業運行の列車で使うのも40年ぶりくらいだと思う。

テーブルの下にある栓抜きを久しぶりに使った。【撮影:草町義和】

普通客車列車に乗り合わせた人に話を聞いてみた。東京と川崎からやってきたという60代の男性二人連れは、1往復目を撮影して2往復目から乗車。「自分たちは(列車外からの)撮り専門だから」と言いつつも、普通客車列車の車内の雰囲気について「懐かしい。ノスタルジーだねぇ」と笑顔で話す。

国鉄時代の旧型客車の普通列車を知らないと思われる若い客の姿も多い。千葉県から来たという22歳の男性は「日常的な光景が感じられて、イベント列車とは違う雰囲気がいい」と話した。

日が暮れた福用駅で定期運行の下り普通列車と交換。【撮影:草町義和】

長距離普通列車を乗り通した気分

18時14分、2度目の金谷駅に到着。18時34分、5本目となる川根温泉笹間渡行き臨時普通列車(第55列車)として発車する。日はとっぷり暮れて窓の外は黒く塗りつぶされ、街並みの明かりがポツポツと見えるだけに。デッキの照明は赤みがかった白熱灯の色で、「夜汽車」という言葉がしっくりくる雰囲気を創り出していた。

デッキを照らす白熱灯が「夜汽車」の風情を醸す。【撮影:草町義和】
川根温泉笹間渡駅に到着直前の第55列車の車内。【撮影:草町義和】

「何度も繰り返してごめんなさいね」と話しながらやってきた車内販売から弁当を買い、夕食を確保。川根温泉笹間渡に到着し、最後の6本目となる上り新金谷行き臨時普通列車(第56列車)は19時47分に発車する。窓外の明かりを見ながら弁当をつついた。20時21分、終着駅の新金谷駅に到着した。

車内販売で買った弁当で夕食。【撮影:草町義和】

1本目の発車から6時間35分の道のり。1982年11月15日ダイヤ改正時点の時刻表で同時間帯の普通客車列車を探してみると、羽越本線・秋田13時07分→新津20時51分の普通列車と同じくらいの所要時間だ。

金谷~新金谷~家山~川根温泉笹間渡、片道20kmほどの区間をひたすら行ったり来たりしていただけだが、不思議と飽きは来なかった。どちらかといえば、秋田駅から新潟県内の新津駅まで普通列車を乗り通したような気分だった。

最初から「増収」目的に企画

大井川鉄道は2023年6月12日、普通客車列車の企画を発表。通常は電車で定期運行している地元住民向けの普通列車のうち夕方から夜間の列車(16~20時台、金谷~新金谷と新金谷~家山の計7本)について、一部の平日に限り電気機関車牽引の旧型客車で代走するものとした。

6月の運行では地元住民向け普通列車の代走という形で運行した。【撮影:草町義和】

この企画が発表された際、私は法定検査か何らかのトラブルで普通列車用の電車が使えなくなってしまい、やむなく電気機関車+旧型客車で代走することになったのではないかと思った。そこでどうせなら誘客につなげようと、大井川鉄道は普通客車列車の代走を大々的に発表したのではないか……

ところが、山本次長にこの推測をぶつけると即座に否定。「収入をとにかく増やさなければならない。とくに平日の増収が課題だった」と話す。「そのためにはどうするかを考えるなかで『旧型客車を電気機関車に牽かせて走らせればいいんじゃない?』という話が出た。この企画はそこからスタートしている。代走の計画が先にあったわけではない」という。

実際、大井川鉄道の経営は非常に厳しい状況に追い込まれており、増収は同社にとって「至上命題」だ。ここ数年、コロナ禍に加えて車両のトラブルによるSL列車の運休や、大雨や台風で線路施設に被害が発生して運休するといったことを繰り返しており、同社の大黒柱であるSL列車だけでなく、地元住民が利用する普通列車の収入も減少した。

大井川鉄道のSL列車。【撮影:草町義和】

こうした背景のなかで普通客車列車が企画された。運行日は6月20日以降、同月中の一部の平日を予定していたが、ふたを開けてみれば普通客車列車目当ての客が県内外から大勢押し寄せた。このため、地元客向けの「定期券専用席」を急きょ設定する事態になった。

発表直後からSNSで大きな話題になったこともあり、運行初日を迎えた6月20日には、早くも代走期間の延長を発表。7月に入ってからは土曜・休日も含め13日まで運行された。最終的には2000人以上が普通客車列車に乗ったという。仮に一人が新金谷~家山で片道1回、所定運賃で乗車したとすれば、単純計算では2000人で138万円の収入だ。

このときは実験的な要素が強かったが、10月からの第2弾は「完全に増収を目的」(山本次長)に計画。10月1日のダイヤ改正で普通列車を減便してダイヤに余裕ができたこともあり、定期列車の代走ではなく臨時列車として設定したという。運行時間帯は昼間の13時台から20時台に拡大した。

昼間にスタートした普通客車列車は夜の20時過ぎに終了。6時間半の道のりだった。【撮影:草町義和】

今後の運行日は11月9・15・28・30日と12月5~7・26・27日の予定。おもな区間の片道運賃は金谷~川根温泉笹間渡が920円、新金谷~家山が690円。全6本を全区間乗車すると、合計5110円になる。普通客車列車の運行日の1日に限り大井川本線・金谷~川根温泉笹間渡を自由に乗り降りできる「川根路ミニ周遊券」(4500円)も設定されており、特典として車内販売・売店利用券(1000円分)が付く。

《関連記事》
国鉄時代ほうふつ「普通客車列車」再び運行 大井川鉄道、運行時間帯を拡大
大井川鉄道が週末夕方「増発」運休区間の専用連絡バスも 奥大井方面の利便性向上