国鉄1等展望車「マイテ49」どんな車両? 京都鉄道博物館「収蔵」でどうなる



戦前に製造された国鉄の1等展望客車「マイテ49形」の2号車(マイテ49 2)が京都鉄道博物館に「収蔵」されることが決まった。国鉄分割民営化の直前に動態復元されてJR西日本の臨時列車やイベント列車に連結して運用されていたが、近年は営業運転を行っていなかった。

スイテ49形だった頃のマイテ49形。展望デッキの手すりの位置がいまより低い。【画像:『日本国有鉄道百年史』より】

マイテ49形は1938年に2両が製造された、国鉄の1等展望車としては最後の完全新造車。記号番号のうち「マ」は車両の重さ(輸送物を含め42.5t以上~47.5t未満)、「イ」は1等車、「テ」は展望車を示している。ほかの1等展望車と同様、座席種別が3等級制だった頃の1等車で、車両の一端に開放式の展望デッキを設けているのが特徴だ。

国鉄は明治後期の1912年から東海道本線・山陽本線の特急列車に1等展望車を導入し、列車の最後尾に連結した。車体はほかの客車と同じ木製だったが、ボギー台車は一般的な2軸ではなく3軸を採用。この時代は2軸より3軸のほうが乗り心地がよいとされ、その後に製造された1等展望車も3軸ボギー台車を採用し続けた。

1等展望車もほかの客車と同様の近代化が進められ、大正期には車体が大型化した。昭和初期の1930年には鋼製車体の1等展望車「スイテ37000形」が登場。その後はスイテ37000形をベースに変更や改良を加えた1等展望車の導入が続いた。

こうしていまから84年前の1938年、のちのマイテ49形である「スイテ37040形」2両(スイテ37040・37041)が登場した。1940年開催予定だった東京オリンピックによる外国人観光客の増加を視野に入れ製造された。

従来の1等展望車の屋根は一段高い小屋根を設けて棟の部分に換気穴を明けたモニター屋根(二重屋根)だったが、スイテ37040形は段差がない丸屋根を採用。また、冷房装置を追加できる構造になっていた。いまの目で見ればレトロな車両そのものだが、1等展望車のなかでは近代的な車両だった。

しかし、東京オリンピックは日中戦争の影響などで中止に。形式名が「スイテ49形」(スイテ49 1・2)に変更された1941年には太平洋戦争が勃発し、東海道本線・山陽本線の特急列車が順次廃止された。このためスイテ49形は製造から数年で運用されなくなり、ほかの1等展望車とともに各地に分散して保管された。

戦後は連合国軍の専用車として接収されたが1949年にスイテ49 2の接収が解除され、1954年にはスイテ49 1の接収も解除。再び東海道本線の特急列車に連結されて走るようになった。形式は装置の追加による重量の増加に伴い、重さを表す記号が「ス」(37.5t以上~42.5t未満)から「マ」になり、形式名が「マイテ49形」(マイテ49 1・2)に変わった。このうちマイテ49 1は1等室の座席を1人掛けのリクライニングシートに交換し、のちに登場する151系の特別車両「パーラーカー」に似た座席配置になっている。

ちなみに、1955年から1959年にかけ1等展望車が皇太子(現在の上皇)の御乗用車に指定され、定期列車に増結して運行された。マイテ49形の2両も1957年に御乗用車として使われ、東海道本線のほか中央本線(中央西線)で運行されている。ほかにも外国人観光客や国賓を乗せた団体列車に連結されることがあった。

1956年に東海道本線が全線電化されると、同線の特急列車「つばめ」「はと」は機関車を含む編成全体を淡い緑色で塗装。マイテ49形も同様に淡緑色に塗られ、その色から「青大将」と呼ばれていた。

しかし1958年に国鉄初の特急型電車151系が登場して東海道本線の特急「こだま」として運用開始。1960年には「つばめ」などの客車特急も151系に置き換えられて電車化し、1等展望車の定期運用が終了した。同時に国鉄の運賃制度が3等級制から2等級制(1等=廃止、2等→新1等、3等=新2等)に改められたため、マイテ49形は座席種別を示す記号を「イ」から「ロ」に変更。形式名を「マロテ49形」(マロテ49 1・2)に改めた。

マロテ49形はその後しばらく外国人観光客や国賓向けの車両として運用されたが、1961年にマロテ49 2が引退。翌1962年に開館した交通科学館(のちの交通科学博物館)で静態保存された。残るマロテ49 1は1964年3月に廃車。この年の10月に開催された東京オリンピックの直前だった。

こうして1等展望車は交通科学館のマロテ49 2(マイテ49 2)と青梅鉄道公園のマイテ39形1両(マイテ39 11、現在はさいたま市内の鉄道博物館に移設)の2両のみ静態保存された。ところが1987年、マイテ49 2が国鉄分割民営化の記念事業の一環として動態復元されることになり、同年3月6日付けで鉄道車両として再登録。空調装置を更新したほか展望デッキの手すりを追加するなどの改造が加えられた。

動態復元後のマイテ49 2。手すりの追加などが行われ外観が変化している。【画像:ナダテ/CC BY-SA 3.0】

マイテ49 2は国鉄分割民営化をまたぐ3月31日~4月1日、東京駅から大阪駅に向かう臨時列車「旅立ちJR西日本号」に連結。その後はJR西日本が保有し、山口線のSL列車「やまぐち」など西日本各地の臨時列車やイベント列車に連結されて運用された。

2017年には自動車の車検に相当する法定検査(定期検査)のうち車両全体の大規模な分解を伴う全般検査を受けており、法的には全般検査の期限が切れる2025年まで運転できるとみられる。その一方で2009年を最後に営業運転が行われておらず、近年は網干総合車両所宮原支所(大阪市)に留置されていることが多い。

2022年7月、やはり使用機会が少なくなっていた建築限界測定車のオヤ31形(オヤ31 31)ともに京都鉄道博物館に回送され、現在は動態保存の蒸気機関車の留置場所となっている扇形車庫で展示されている。事前に展示の発表があったオヤ31 11に対し、マイテ49 2の展示は事前の案内がない「サプライズ」で、今後の処遇が注目されていた。

京都鉄道博物館で展示中のマイテ49 2。【画像:京都鉄道博物館】

京都鉄道博物館は今年2022年9月8日、日本の鉄道が開業150年を迎える10月14日に「新たに『マイテ49形2号車』が仲間に加わり、当館の収蔵車両は54両となります」と発表。鉄道プレスネットが同館に取材したところ、保存の形態や収蔵の方式などは「現在調整中。詳細は近日中に発表する」と話した。

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