開業90周年の六甲ケーブル「幻の計画」鉄道とケーブルカーの直通運転、どんな方式?



六甲ケーブル線(神戸市)が開業90周年を迎えた。その名の通り、関西屈指の名山である六甲山の山腹を走る全長1.7km、高低差493.3mの鋼索鉄道(ケーブルカー)。1932年3月10日に六甲越有馬鉄道の路線として開業し、合併や社名変更を経て現在は六甲山観光が運営している。

開業90周年を迎えた六甲ケーブル。【画像:Daniel_Lin/写真AC】

このケーブルカーの起源といえる路線が計画されたのは、開業からさらにさかのぼって1910年代のこと。1918年に六甲越有馬鉄道の発起人が鉄道免許を申請し、1923年に会社が設立された。

ただし、このときの申請区間は六甲~有馬間の8.7kmほど。起点の六甲は1920年に開業した阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄神戸本線)の六甲駅付近とみられる。六甲山の山麓を上り下りするだけでなく、現在の神戸市内から六甲山を越え、関西の有名な温泉地である有馬温泉に抜ける壮大な計画だった。

路線の長さが8km以上もあるケーブルカーは、ちょっと聞いたことがない。少なくとも日本には存在しないし、存在しなかったはずだ。しかし、六甲越有馬鉄道の計画は単純なケーブルカーではなかった。途中の勾配が急な区間のみ鋼索鉄道を整備し、それ以外の区間は標準的な鉄道(普通鉄道)として整備するというものだった。

六甲越有馬鉄道が作成した六甲~有馬間の運行図表(ダイヤグラム)。途中5区間を「鋼索線」としている。【所蔵:国立公文書館】

普通鉄道は動力を搭載した車両が自走するが、鋼索鉄道の車両は山上に設置した動力装置とケーブルでつなぎ、上り下りする。いくら軌間や動力を統一しても構造が根本的に異なるから、本来は直通運転などできないはずだ。

六甲越有馬鉄道が作成した文書などによると、鋼索鉄道の区間では、床ができるだけ水平になるようにした三角形の台車(遷車台)を導入。これに普通鉄道の車両を搭載して直通運転するというユニークな計画だった。

この「遷車台方式」は海外では古くから実例がある。六甲越有馬鉄道が鉄道省(現在の国土交通省)に提出したとみられる写真には、遷車台に搭載された電車が鋼索鉄道の線路を通り抜けていく姿が映し出されている。写真が貼られた紙には「米国鋼索鉄道」と記されていた。

六甲越有馬鉄道が鉄道省に提出したとみられる「米国鋼索鉄道」の写真。遷車台に搭載された電車が鋼索鉄道の線路を通り抜けていく。【所蔵:国立公文書館】

ちなみに六甲越有馬鉄道は1924年、路線の起点を六甲から御影町(現在の阪神電鉄本線石屋川駅付近)に変更することを鉄道省に申請した。六甲越有馬鉄道は阪急の支援を期待して阪急駅との連絡を図る計画を立てたが、阪急が消極的だったため、阪神に話を持ちかけて阪神駅への連絡に変更することにしたようだ。その後、阪神電鉄は六甲越有馬鉄道の株式を買収して系列会社にしている。

しかし、普通鉄道と鋼索鉄道の直通計画は中止され、六甲越有馬鉄道は鋼索鉄道の免許を改めて申請し、1929年に免許を取得。3年後の1932年に現在の六甲ケーブル線が開業した。遷車台方式は運用が難しいだけでなく車両の搭載作業に時間がかかり、所要時間は普通鉄道と鋼索鉄道の徒歩乗換と大差ないということもあって、「普通のケーブルカー」を建設することにしたようだ。

そもそもこの時代、阪神と阪急は六甲山の観光開発を巡って激しく争っていた。そこへ六甲越有馬鉄道が割り込むように入ってきて、いつしか阪神系列の会社になっていたあたり、同社が神戸~有馬を結ぶ鉄道を本気で建設するつもりがあったのか、少々疑問に感じるところがある。とはいえ普通鉄道と鋼索鉄道の直通運転が実現していれば、趣味的には面白かっただろうにとも思う。

※この記事は『鉄道ジャーナル』2020年12月号の記事「公文書でたどる鉄道裏史(9):六甲と有馬を結ぶ『異種直通鉄道』」の一部を編集して作成しました。詳細は同記事をご覧ください。

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