富士山登山鉄道に反対の市長を「脅迫」戦前の構想でも似た話、ただし「逆の立場」



山梨県は「富士山登山鉄道」の構想を推進している。山麓と5合目を結ぶ有料道路「富士スバルライン」に軽量軌道交通(LRT)を整備し、観光客の増加による環境負荷の増大を緩和するという。

山梨県側から見た富士山と富士急行線の列車。【撮影:草町義和】

これに対し、富士吉田市の堀内茂市長は登山鉄道の整備に反対。同市はスバルラインでは雪崩が頻繁に起きており、登山鉄道の整備には大きなリスクを伴うとしている。また、現在も実施している夏山シーズンのマイカー規制と電気バスによるシャトルバスの運行など、登山鉄道以外の方策による環境負荷の軽減を図るべきとの考えも示している。

こうしたなか、堀内市長宛に脅迫まがいの内容の手紙が届いていたことが明らかになった。2023年12月27日『山梨日日新聞』などによると、12月22日に手書きの便せん1枚が入った封書が富士市役所に届いた。

便せんには富士山登山鉄道の構想について「鉄道を造るのは何の問題もない」とし、構想に反対している堀内市長を「おまえは本当にばか」などと批判。「今の態度でいると今後も何をされるか分からないぞ、分かったか」などと書かれていたという。

富士山の登山鉄道構想は戦前から戦後にかけ何度も浮上しては消えるを繰り返しているが、実は戦前の構想でも「脅迫まがい」の手紙が関係者に送られた形跡がある。

戦前は大正期から昭和期にかけ少なくとも3回、民間の起業家が鉄道省(現在の国土交通省に相当)に「富士登山鉄道」の計画を申請している。いずれも馬返(現在の吉田口登山道の拠点)から山頂方面の区間を結ぶケーブルカーだった。

戦前に申請されたケーブルカーの計画。青=1回目(1923年申請)、緑=2回目(1928年申請)、赤=3回目(1935年申請)。【画像:国土地理院地図、加工:草町義和】

1回目の申請(1923年)では山梨県と静岡県が共同で鉄道省に対し建設反対の立場から副申書を提出。山麓側に連絡する交通機関がないことや、登山は徒歩で楽しむものであって鉄道などの交通機関を使うものではないこと、日本の代表的な山である富士山の山岳信仰への影響などを挙げ、申請を却下するよう求めた。鉄道省は申請を却下し、2回目の申請(1928年)もほぼ同じ理由で却下している。

3回目の申請は1935年。このときの申請の関係文書を国立公文書館が所蔵しており、申請書や山梨県が提出した文書などがまとめられているが、そのなかにハガキサイズの「脅迫」文書があった。

「冨士山にケーブル架設 絶対反対 もし架けたら ぶっ壊す」

戦前の申請(3回目)の関係文書として保管されていた「脅迫文」。【所蔵:国立公文書館】

反対理由は書かれてないが、物騒な内容なのは確かで、「脅迫まがい」というよりは脅迫そのものだ。国立公文書館の所蔵文書として保存されていることから、新聞報道で計画を知った一般の人が鉄道省に脅迫の手紙を送り、鉄道省は審査の参考書類として保管していたのだろうか。

この脅迫が審査に影響したかどうかは定かではないが、鉄道省は1941年ごろ「目下ノ時局ニ於テハ不急ノ難事業ニシテ其ノ必要ヲ認メラレザル」などとし、申請を却下している。

戦前の計画では山梨県は建設に反対だったが、いまは推進の立場。脅迫の文書も戦前は建設反対だったが、今回の手紙は建設に賛成したうえで富士吉田市長を「脅迫」しており、まったく逆の立場だ。脅迫によって推進・中止の決定が左右されるようなことがあってはならないが、時代が変われば立場も変わるのだなと思う。

※この記事は『鉄道ジャーナル』2021年1月号の記事「公文書でたどる鉄道裏史(10):富士山の鉄道構想を『ぶっ壊す』」の一部を編集して作成しました。詳細は同記事をご覧ください。

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