北陸新幹線と在来線(あいの風とやま鉄道線とJR高山本線)の高架ホームが並んで東西に延びている富山駅。この高架下に今年2020年3月21日、富山駅の北側を走っている「次世代型路面電車」の軽量軌道交通(LRT)、富山港線が乗り入れる。

国鉄時代の富山港線。【撮影:草町義和】

一方、富山駅の南側を走っている路面電車(富山軌道線)は、2015年の北陸新幹線の開業にあわせて高架下に乗り入れている。富山港線の高架下への乗り入れに伴い、両線の軌道を接続。これにより南北の路面電車・LRTの直通運転が始まる。

しかも、直通開始に先立つ2月22日には、富山港線を運営する富山ライトレールが、富山軌道線を運営する富山地方鉄道(富山地鉄)に吸収合併される形で統合。運賃も一体化するため、富山港線と富山軌道線をまたいで南北を移動する場合はいまより半額になり、利用者にとっても便利になる。

歴史的にも、富山地鉄が富山港線を「奪還」するという、興味深い現象が起きることになる。富山港線はもともと、富山地鉄の路線だったのだ。

■統合からわずか5カ月で国有化

富山港線は1924年、富岩鉄道という私鉄の路線として開業。富山軌道線は1913年に富山電気軌道の路線として開業し、1920年には市営化されていた。

富山軌道線を走る富山地鉄の路面電車。【撮影:草町義和】

一方、1931年から富山~黒部間などの鉄道路線を運営していた富山電気鉄道(初代)の佐伯宗義社長は、「富山県一市街化」を掲げて富山県内の交通機関の統合を推進。1941年に富山電気鉄道は富岩鉄道の路線、つまり富山港線を譲り受けた。

これに加えて戦時中は、公共交通の事業者をエリアごとに統合しようという動きが強まり、1943年1月1日には富山電気鉄道や富山市営軌道などを新設合併により統合。新会社の名前は富山電気鉄道(2代)となったが、わずか1カ月後の同年2月12日には現在の富山地鉄に改称されている(1月1日の合併時から富山地鉄だったとする説もある)。

こうして佐伯は北陸本線などの国鉄線を除いて富山県内の公共交通を統合したが、合併からわずか5カ月後の1943年6月1日、富山港線は国有化されて国鉄線になってしまう。

戦時中のこのころ、炭鉱や港湾につながる私鉄路線は軍事上の重要路線とされ、半ば強制的に買収されて国鉄線になった。このときに買収された私鉄は「戦時買収私鉄」と呼ばれ、富山港線も戦時買収私鉄のひとつだった。

■南北接続を機に富山地鉄のもとへ

戦後も国鉄からもとの会社に返還されることはなく、そのまま国鉄が運営。一部の路線は廃止され、残った路線も1987年の国鉄分割民営化で発足したJR各社に引き継がれている。もとの会社に戻った路線はひとつもなかった……はずであった。

富山ライトレールが運営する富山港線。【撮影:草町義和】

ところが、富山港線は国鉄分割民営化時にJR西日本が引き継ぎ、2000年代にLRT化の構想が浮上。運営はJR西日本から分離することになり、2006年からは富山市が出資する第三セクターの富山ライトレールがで運営している。

その後、富山駅の高架化に伴い、高架下を通って富山港線と富山軌道線を一体化する南北接続構想が浮上。直通化を機に経営的にも効率化を図るため一体化することになり、戦時買収から77年を経て富山地鉄が富山ライトレールを合併にすることになった。

77年ぶりの「奪還」まで、あと4日(2020年2月18日時点)だ。

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