西武鉄道の元常務取締役・長谷部和夫さんが3月1日、敗血症性ショックのため亡くなった。93歳。葬儀は近親者のみで執り行われる。
西武鉄道などによると、長谷部さんは1953年3月、西武鉄道に入社。保線の専門家で、1977年6月から取締役、1990年6月から常務取締役を務め、1995年6月に退任した。西武秩父線の建設や西武池袋線の複々線化計画に携わった。
1990年代から2000年代にかけ、西武鉄道の歴史に関して鉄道誌などで話しており、大手私鉄のなかで社史を唯一刊行していない同社の歴史の「語り部」でもあった。
帝都高速度交通営団(営団地下鉄)東西線の建設時、西武鉄道が西武新宿線から東西線への乗り入れを要望したのに実現しなかったことについて「希望を出すのが遅れた」とし、さらに「西武グループの創業者である堤康次郎、我々は“大将”と呼んでいましたが、大将と東急の五島慶太氏との確執が原因だったのです」「五島氏が深くその設立に関わった営団と協議することすら、大将にとっては耐え難いことでした」(『鉄道ジャーナル』2007年1月号)などと語っている。