【記憶の鉄道車両】直流電気機関車「EF58形」初めて見たのは上越線の臨時急行



記憶に残る限り、「ゴハチ」ことEF58形電気機関車を見たのは1978年の夏頃だったと思う。この頃、郷里の新潟県六日町(現在の南魚沼市)を通る上越線の旅客列車は、ほぼすべて電車。深夜には急行「鳥海」など、電気機関車がけん引する客車列車も走っていたが、当時小学生の私が客車列車を見たいからといって深夜に家を抜け出すことは、不可能だった。

1980年頃の上越線の臨時急行「佐渡52号」。1978年の「信濃川52号」と同じ長岡発→上野行きで、EF58形が12系をけん引した。【撮影:草町義和】

しかしちょうどこの頃、時刻表の読み方を覚え、長岡発→上野行きの「信濃川52号」という臨時客車急行が昼間に走ることを知り、わざわざ六日町駅の入場券を買って見に行ったことを覚えている。こうしてやってきた「信濃川52号」は、EF58形がけん引する12系客車だった。

当時どのように思ったかははっきり覚えていないが、少しがっかりしたように思う。

この頃はブルートレイン・ブームのさなかで、客車列車といえばEF65形電気機関車が寝台車の24系客車や14系客車を引っ張って走るというイメージしかなく、それがあこがれの存在だった。「信濃川52号」の客車は寝台車ではなく座席車であることは時刻表を見て知っていたが、なぜか機関車はEF65形に違いないと思い込んでいた。

あこがれのブルートレインの電気機関車が見られる……そう思っていただけに、EF65形とは似ても似つかぬEF58形が現れたのだから、拍子抜けしたことは確かだろう。とはいえ、半流線型のEF58形のデザインはかっこよく、後ろにつながれた座席車の12系客車は青い車体に白い帯2本が入った「ブルートレイン」。通常は昼間の上越線で見ることができない車両を初めて見ることができたから、多少なりとも興奮したはずだ。

EF58形は、1946年から1958年にかけ172両が製造された国鉄の直流電気機関車。戦前の国鉄電気機関車の強化形といえる車両で、初期に製造された31両は戦前の電気機関車と同様、車体の両端にデッキを設けていた。1952年以降に製造された141両は、初期の車両とは一線を画した半流線型の車体を採用。初期の31両も半流線型の車体に更新された。

写真の35号機以降、EF58形はデッキ付きの構造から半流線型の車体に変わった。【撮影:草町義和】

汎用(はんよう)性の高さから全国の直流電化区間で用いられ、けん引した列車も普通列車から特急列車、貨物列車まで多岐に及ぶ。60・61号機の2両はお召し列車のけん引用として製造されており、国旗掲揚装置を設置したほか、各回路に予備回路を増設するなど安全・安定性の向上も図られている。

お召し機の61号機。後方には89号機が連結されている。【撮影:草町義和】

国鉄分割民営化直前の1986年までに定期列車での運用からすべて引退。以後は国鉄や国鉄清算事業団からJR東日本・JR東海・JR西日本に引き継がれた5両が臨時列車の運転などで使われていたが、これらも2009年までに引退している。